柏 美枝


柏美枝 鈴木 伝明 & 柏 美枝 blank225c blank225c

 八月九日。
 るつぼの名の様なむし暑さの未だ殘るこの暑さ。宵の八時。セツトの中で一日の撮影を終つて歸つた私。明日の湘南へのロケーションに入用な物を小さなスーツケースへ Arrange して。さて明朝早いんだつけ。四時に起きる豫定で寝につく。

 八月十日。
 何という美しい色の空でしよう
明けていくきれいな空を車窓に眺めながら、私は嬉しいので眠い目をこすりこすり夢中で蒲田に來てしまつた。それから五時五十八分横濱驛發で私達は、あくび一つ出ない中に、いつ來てもいい湯の町のホテルへ着く。
 一生懸命撮影を終へてプールへ飛び込むのが、ほんとうに小さい子供がオヤツを目あてに、おさらひする様な樂しみ。近頃クロールもお美事に上達したと人に云はれると、お世辭にも嬉しい。
 いいお天気なので撮影がどんどんはかどつていく。これで『戀は曲者』もあと二三日の所まで漕ぎつけた譯。
 夜に靜かな熱海の波の音をききながら、お友達、母さんに手紙等書いて九時ねむる。

 八月十一日。
 昨日よりもつといいお天氣の様な氣がする。
 朝霧の消えてく中に初島がポツカり浮んでた。
 ここでは随分幾度もロケーションをした。來ると雨か曇りかで何度むだ足をした事だつたらう。でも今日はほんとうに嬉しい。何だか清水先生もいつもに増して喜んでらつしやる様だ。今年は私もお蔭で随分いい断片的な Summering をした譯だわ。又おつれが八雲さん。ほんとうにお姉様と一緒の様な安心と力強さのある方。こんなに、私は皆様に可愛がつて頂いて、ほんとうにすぎない様な氣がする。
 疲れ切った體と完全にすいたお腹への夜の御飯の訪れ、歓迎しすぎて苦しくなる程に。
 やがて、なつかしい熱海にも、お別れして六時四十分で東京へ。
 急に都戀しくなる。
 いい月、月並な金色夜叉の月を思ひ出す。皆さんも疲れてらつしやる様に見える。
 私も空元氣で対抗する。
 早く東京へ、帰りたい気持で一ぱい。
 東京驛。
 タキシーは、早くママさんの所へ。おみやげ話と、ヨーカンやわさびづけを、さもさも長途の旅行のつもりの様に母さんの前に並べた自分が、おかしくもあり、嬉しくもあつた。明日もまた早いんだつけと思ひ出して、お風呂へザブンと入つてすぐねる。

 八月十二日。
 冬だとセツトの寒さ身にしみても、いざ撮影の時のライトをお炬燵と考へて樂しみだけど、折角昨日の極楽が今日の地獄。暑い暑い事。南京玉の様な汗が額から背中から、ポロリポロリと落ちる氣持はだれでも、よくないと思ふ。
 今日は一番むずかしい所。キヤメラマン、デイレクターの方々やその各パートの方々の暑さを思へばいくら力んでもいや力むからいけないんだわ。静かにあきらめても生理的現象にはかなひません。
 おひる御飯もやつと三時半頃に頂くという大バリキ、私のやりなをしは澤山あるし、皆様に申しわけないくらい。それでもラストシーンまで、思ひの外早く漕ぎつけて、さて最後のスティールをとり、これで今日も終わつたと思ふと嬉しい。
 夕雲にどこか夕立らしい稲光の反映も、うすやみの歸り道へのうち水も、静かに静かに、今日の仕事が終つた私の氣持にピタリと來て、何となく落着て足が家路の方へ一歩々々運ぶ。

「私のグリンプス」 柏美枝
「スタヂオ日記」(『女性』誌 1927年10月号掲載)より


松竹蒲田の新進スターとしてフアンの人氣を一身に集めてゐる。大正十年佛英和女學校を卒業後、聲樂家として樂壇に聲名を馳す、昭和二年の一月二十日に松竹蒲田のスタヂオに入る。モダンガールの標本ともいふべき斷髪美人で、入社後忽ちその天才を認められ『昭和時代』『カフエーの女王』『戀は曲者』『海濱の女王』を主演し東日大毎連載三上於菟吉原作『炎の空』に笙子に扮してあの大作を巧みに演じてフアンは元より幾多の先輩を驚倒せしめ一躍花形となる。映畫女優で恐らく彼位瞬く間に出征したものは今迄に其の例がない。最近ある都合で映畫界を退くといふ噂がある。

『玉麗佳集』(1928年)


モダン・ガールと云へば、五六年前彗星の如く現れ、彗星の如く消えた柏美江 [原文ママ] がある。その教養と美貌を見込まれて、某若手實業家の夫人となり、結構な日を送っている。

「噂のスター今何處へ?」『最新映画大鑑』(冨士9月號附録 1934年8月)