[映画秘史] 『ファルコネッティ伝』を読む

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『裁かるるジャンヌ』で主演を務めたルネ・ファルコネッティの伝記。三部構成となっていて、下積み時代(出生から1923年)、全盛期(1924~29年)、没落と忘却(1930~46年)の3つの時期を扱ったものです。著者は娘のエレーヌさん。肉親による伝記物としては唯一で、生活を共にしていた者にしか語ることのできない証言が多く含まれています。

ただし『ファルコネッティ伝』は女優の人生を丁寧に追った書物ではありません。その理由は伝記の執筆経緯から見ていくと分かります。

ルネについて書いてほしいと言われてもこれまでお断りさせていただいておりました。嫌いだと言い続けてきたあの人の言動で、何年もどれほど苦しまされてきたことか。死に様だってそうです。(「序文」)

母の生き様に思うことが多くあったようです。しかし1984年に息子(『クレールの膝』にも出演していた俳優ジェラール・ファルコネッティ。ルネにとっては孫)が急逝。息子の死と母の死に重なる点があったようでジェラールの話を含める条件で伝記の執筆を受けたとされています。

最終章が息子ジェラール氏に割り当てられているだけなく、母の伝記部分にもその追想が繰り返し出てくるなど錯綜した感もあります。戦前女優ルネ・ファルコネッティの伝記だけを期待して読むと当惑しかねません。

伝記として失敗なのでしょうか。必ずしもそう言い切れない気がします。

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舞台女優の才能と実績は高く評価するが、私人として(特に母として)のルネ・ファルコネッティを認めない、というのが『ファルコネッティ伝』の基本的な立ち位置です。

ルネは幼い頃から舞台女優に憧れていた少女でした。恵まれているとはいえない家庭環境から家族の反対にあい、一旦は工場で働き始めます。仕事の都合でドイツとイギリスに渡る機会があり、そこでユダヤ人実業家アンリ・ゴールドステュック氏と出会っています。

港湾保険で一財産を築いた人物で、ルネと出会った時は50才を越えていました。両親が早くに離婚し女手一つで育てられたルネにとっては貴重な助言をもたらす父親代わりでしたが、関係はすぐに肉体的なものに発展していきます。資金力のあるパトロンを見つけ出したルネは夢の実現に取りかかり、20才になった1912年に親から独立。資金援助を受けてパリに転居し演劇の勉強を始めたのです。

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左にルネ。中央にアンリ・ゴールドステュック氏

理想的な環境を与えられ、次第に女優としての才能を開花させていきます。1915年に妊娠が発覚。子の父親はアンリ氏でした。同氏は結婚を申し出ますがルネはこれを固辞、認知も拒み単身で出産、子供を育て始めました。この子供が『ファルコネッティ伝』著者のエレーヌさんです。

『ファルコネッティ伝』を公にするということは、自身が認知されなかった私生児である事実を公にすることでもありました。筆の進まない作業だったのも納得できます。

しかも1915年はルネがオデオン座でデビューを飾った年でもあります。子育てを実母のリュシーさんに頼る機会が多くなり、エレーヌさんも祖母になついていくようになりました。見かねたリュシーさんは養育を引き受けます。

「私が育ててあげるわよ」とリュシーが言った。「でも約束よ、後で取り返しに来たりしないでね」
この約束にルネはひっかかった。自由になったのだ。
私は救い出された。ルネの叫び声、怒りっぽさ、攻撃的だったり気まぐれだったりから救い出されたのだ。優しく陽気な、気分に波のないおばあちゃんの元へ!(57頁)

子供への八つ当たりもあったようです。母と娘の間に生れていた溝、距離感がはっきり分かるのが『ファルコネッティ伝』での呼び方で、序文を除くと「私の母(ma mère)」の言い回しが避けられています。全体を通じて「ファルコネッテイ嬢」や「ルネ」が使用されているのです。

幼少時に大事にされなかった記憶はそれだけでも禍根を残すものです。のみならず対立はさらに深い根を持っています。

1915年以降、ファルコネッティは舞台の実績を積み上げていきます。「批評家の意見も一致していた。リュマニテ紙からタン紙に至るまで賞讃の嵐」(61頁)。周囲には賛美者が集まってきます。

貴族の出自らしからぬ俗物ドゥ・ドーヴル男爵は、ファルコネッティを豪奢な宝石で贈り攻めにした。彼一人にとどまる話ではなかった。ルネは母親にまで「何かと引き換えという訳じゃないの…」の言い訳をしなくてはならない始末だった。

エレーヌさんの目は醒めています。ファルコネッティが身に着けていた「高価な香水」を思い出しながら「おぞましかった」と記述するなど浮薄な贅沢を快く思っていない様子は伝わってきます。

エレーヌさんは成人後に弁護士となる道を選びました。職業選択からも伺える価値観の違い、感性の違い。ルネ・ファルコネッティという母親を手放しで誉めることのできない複雑な心境だったのだと思われます。

その一方で女優としてのルネは高く評価されています。演技は憑依系と呼んでよく「自分でも経験からよく分かっていたように、役の設定がしっかりしていれば筋立てが悪くても結果を出せる」(76頁)自信を持っていたほどです。それは天賦の才などではなく、時に周囲から「正気の沙汰ではない」と諫められる「完璧主義」の賜物でもありました。

1916~23年にかけてのルネの軌跡は丁寧に追われており、メディアの反応も多く引用されています。「人としての辛さと優しさを強く感じさせる」(1921年6月11日付コメディア紙)「ファルコネッティは紛れもなく最良の喜劇女優に数え上げられる」(アンドレ・アントワーヌによる講評)…

順風漫歩だったわけではありません。同期俳優が自分より先に成功を収めている様子に焦りを感じたり、引き受ける役柄が喜劇から悲劇まで多岐にわたり役者のアイデンティティに自信を失うなど迷いや葛藤も描かれています。『ファルコネッティ伝』で描かれている若き女優の姿は、当時の多くの演劇評とも整合性が取れており信頼のおける記述だと思われます。

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『ファルコネッティ伝』第二部はコメディ・フランセーズへの参加と脱退(1924~25年)と『裁かるるジャンヌ』(1928年)を扱っています。役者ファルコネッティの業績に一定の評価を与えつつ、私人としての姿勢に厳しい立場は貫かれています。

ルネが研修生として参加した頃のコメディ・フランセーズは人間関係で紛糾していました。新旧派の対立、ベテラン同士の反目、同期の足の引っ張りあい、政府要人の愛人女優がのさばるなど火種が多く、しかも厳然とした上下関係が要求されていました。「役者同士が貪り喰らいあっている」環境で果たして上手くやっていけるのか不安視する向きも多く、実際に短期間で孤立し脱退を余儀なくされています。

この後興行師のイゾラ兄弟に招かれサラ・ベルナール劇場への出演が決定。『裁かるるジャンヌ』の撮影が延びたために劇場デビュー作の練習に間にあわず契約を破棄、撮影終了後に再契約を結んでいます。

次第に一人の世界に入り始め、ジャンヌ・ダルクの人格に自らを完全に重ねあわせるに至った。(159頁)

この時期、母ルネとの関係が疎遠になっている様子を見てとることができます。

ルネは近親者や取巻き連中の子供たちに玩具を配ってほしいと母にお願いをした。沢山の名が挙げられている。リュシーは娘の気前の良さに嬉しくなった。[…] リストの最後まで辿りついたとき、彼女は信じられずに目を見開いた。大事な名前が一つ抜け落ちていた、ルネ自身の子であるエレーヌの名前が。(71頁)

1929年1月、長きに渡りルネのパトロンだったアンリ・ゴールドステュック氏が交通事故の後遺症で亡くなりました。エレーヌさんにとっては実父に当たります。しかし訃報を彼女に伝えたのはルネではなく伯父のシャルルでした(181頁)。

アンリ氏の死後、ルネにも遺産が分与されます。ルネはラヴニュー劇場を買収、自身の劇団を立ち上げました。第一弾に選ばれた作品は『ラ・ルイユ』でした。

不眠不休の準備にもかかわらず批評家からの反応は鈍く、客席も「半分ほどしか埋まっていない」。興行は大赤字で劇団員の給料支払いにも困るようになります。

『ラ・ルイユ』はソビエト劇作家の作品を下敷きにし、プロレタリア劇の要素を含みこんでいました。ジャンヌ・ダルク映画で成功を収めたルネにとって、自己犠牲で世の中を変えていく労働者の娘の配役に勝算はあったのでしょうが、それまでルネを支持していた古典劇や軽喜劇の愛好家を納得させるには至らなかったのです。

『ファルコネッティ伝』ではこの背景は触れられておらず、「政治色の強さが鼻についた」の表現で済まされています。ルネは当時の女性としては進歩的で、自由恋愛を貫き、古い慣習に盾突くことも厭いませんでした。エレーヌさんはその姿勢に否定的で母の劇場運営を「呪われた企画」と呼んでいます。遺産は実子エレーヌさんの将来を慮ったものでもあったはずで、それを事業経営で使い果たしてしまったわけですから恨み言の一つも出てくるのは致し方ない気がします。

『ラ・ルイユ』の失敗をきっかけにルネの人生は下降線をたどり始めます。サラ・ベルナール劇場での当たり役となった『椿姫』で持ちこたえていましたが1930年代半ばに同劇場との契約を解消。『裁かるるジャンヌ』からわずか数年で過去の存在へと押しやられていきました。

煌びやかさのない人生を送り続ける中、ルネは疲弊し、老いている自分を実感していた。魔法は失われていた。(239頁)

失意の中ルネは南米へと移住、糊口をしのぐため小さな劇団での活動を続けていきます。第二大戦終了後に帰国を考えたものの結局はそれを果たすことなく1946年末に亡くなっています。

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『ファルコネッティ伝』は著者の出生経緯や、価値観の相違が基になったバイアスが多く含まれています。その匙加減を理解した上であれば読み応えのある書物です。『裁かるるジャンヌ』で神話化された女優像を保留し、その向こう側で生きられた舞台女優の現実を見ることができるからです。

ただ、『ファルコネッティ伝』の真意は「母の実像」にはありませんでした。

本書の最終部分は、エレーヌさんの息子ジェラールさんの小伝となっています。

ジェラールが1973年にパリ東劇場で『王宮』の主演を演じ、天賦の才を受け継いでいると謳われ批評家から高い評価を得た時、その姿にルネの革新的精神が受け継がれているのを見て心躍った。(193頁)

「革新的な精神」は「破滅に向かう」心性と表裏一体でした。ジェラール氏は祖母ルネの軌跡を追うように俳優を志し、若くして自らの命を絶っています。

ルネの母リュシーが放任主義を見かねエレーヌの養育を引き受けた経緯は引用した通りです。ルネにとっては母の適性を否定され、子供を「奪い取られた」ようなものです。半世紀がたち今度はエレーヌが同じ目に遭う番でした。

著者はルネの姿を反面教師とし堅実な道を歩んでいきました。ところが大切に育てた息子は安定に反旗を翻しルネの軌跡を追っていきます。ルネが孫のジェラール氏を奪い返しにきた構図になっているのです。

なぜ『ルネ・ファルコネッティ伝』ではなく『ファルコネッティ伝』と題されたのか。その理由も見えてきます。本書は戦前女優の単純な伝記ではなく、隔世で血を受け継いだジェラールの伝記でもあり、現世に独り取り残されたエレーヌ・ファルコネッティの悲劇を描いた著作でもあるのです。

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原題:Falconetti
著者名: Hélène Falconetti

出版社: Du Cerf
出版: 1987年12月1日
叢書:リストワール・ア・ヴィフ
フォーマット:ソフトカバー 274 ページ
ISBN-10: 2204028452
ISBN-13: 978-2204028455