[映画秘史] 1935年 ハンガリーのルビッチ夫妻

Ernst-&-Vivian-Lubitsch02

異国語で書かれた古い献立表が一枚。

ブダペスト・グランド・ロイヤル・ホテルの専用紙にメニューがタイプ打ちされています。牡蠣のクリームスープ、若鶏のロースト&仔牛のカツレツにストロベリームース…ハンガリー語の内容から昼食ではないかと思われます。タイプ打ちされた日付は1935年の3月25日です。

裏返すと二つの並んだ名前、上はエルンスト・ルビッチ(Ernst Lubitsch)、下はヴィヴィアン・ルビッチ(Vivian Lubitsch)と読めます。

Ernst-&-Vivian-Lubitsch01

1910年代のドイツ映画で名を上げ、その後ハリウッドで活躍したエルンスト・ルビッチ監督と妻ヴィヴィアンの連名サインです。ホテルのレストランで食事をした際、場に居合わせた人物からサインを所望され、手元の献立表を使ったと推察されます。

奥さんについては多少の説明が必要でしょうか。

結婚前の名前はヴィヴィアン・ゲイ。女優として紹介されることもありますが演技歴は短く、女優のマネジメントでハリウッドに入りこんでいきます。無名映画に出演していた女優を発掘し、サリ・マリッツァと改名させディートリヒのライバルとして売り出していきました(1932年)。

サリ・マリッツァを語る前にまず触れておきたいのがマネージャーである。ヴィヴィアン・ゲイは24才の金髪女性で、担当している女優とは年が二つしか変わらない[…]。エルンスト・ルビッチからランドルフ・スコットまでハリウッドの大物権力者を手玉に取るだけの魅力の持ち主である。

「サリ・マリッツァは如何にスター女優となったか」
(モーション・ピクチャー誌 1933年2月号)

自身も綺麗な人物だったようで、美人女優と美人マネージャーの組みあわせに仕事が舞いこむようになってきます。またヴィヴィアンは小説の映画化権を製作会社(RKOなど)に売りこむエージェント業にも乗り出しています。多くの監督に企画を持ちこんでいき、その中にエルンスト・ルビッチやマルセル・レルビエの名前を見て取れます。

19340601 hollywood reporter
小説や舞台関連のエージェント
リチャード・K・ポリマー社新オフィス開設のお知らせ
下から2段目にヴィヴィアンの名前
(ハリウッド・リポーター誌1934年6月号)

そんなヴィヴィアンと男優ランドルフ・スコットのロマンスが噂になったのが1933年でした。1934年にヴィヴィアンがスコットの誕生会を開くなど親交を深めていき、結婚は秒読みと思われていました。スコット自身も意識していたようです。ただし彼はバイセクシャルで、ケイリー・グラントとの恋愛関係を偽装するための隠れ蓑としてヴィヴィアンを利用していた説もあります。

サリ・マリッツァの方は人気が出ず、1934年10月に結婚しハリウッドを引退。ヴィヴィアンも身の振り方を考える時期に来ていました。

絶妙なタイミングに絶妙な見た目で現れた絶妙な女性だった。[…] ヴィヴィアンは27才、ルビッチの好みである「すらっとした背の高い金髪女」そのままのタイプだった。

『楽園の笑い声:エルンスト・ルビッチ伝』

結婚式は1935年7月27日。新郎新婦を乗せた飛行機がハネムーンに旅立った記事は日刊紙(ニューヨーク・タイムズ)にも掲載されています。

両者がいつ出会い、どのように結婚を決めたのか詳細は知られていません。今回入手した連名サインはおそらくこの空白を埋める資料です。二人が1935年3月時点でハンガリーにいて、その時点ですでに結婚を決めていた可能性を示しているのです(サインを貰う際にあえて古い献立表を裏紙に使うとは考えにくいため)。

入籍の4か月前で法的にはまだルビッチ夫人とは言えません。そもそもヴィヴィアンの名が本名ではなかったりもします(戸籍名はサニア・ベゼンネット)。それでもサインを乞われた際に「ヴィヴィアン・ルビッチ」と堂々と書けるこの幸福感、勝利感。

Lubitsch Honeymoon
ハネムーン中のルビッチ夫妻

『ルビッチ伝』を信じるなら、二人の結婚生活は必ずしも幸福とは言えませんでした。ヴィヴィアンは「玉の輿狙いの女」として扱われ、ルビッチの旧友を「ことごとく敵に回した」と書かれているくらいです。それが事実だったとしても、娘ほどの年の才女を射止めたエルンストと、パラマウント社のトップ監督の夫人の座を確約されたヴィヴィアンの思惑がかみあった一瞬はあったはずで、ブダペストでの楽しい会食の思い出も又そこに含まれていたのではなかろうかと思われます。

[初稿 2016年3月7日]
[最終稿 2018年5月20日]