[映画秘史] 1914年(大正3年) 黒いカーネーションの秘密

1914 - Le Chevalier de maison-rouge 01

『赤い館の騎士』(1914年 仏 アルベール・カペラーニ監督作品) より

1914年のフランス映画『赤い館の騎士』はアレクサンドル・デュマ父の同名小説を原作とし、囚われの身となったマリー・アントワネットを救おうとする王党派と革命勢力の攻防を描いた一作です。

女性が花を手にした写真はこの映画の一場面です。原作第21章、「赤いカーネーション」前後の流れを追ってみることにします:

ある日、王党派の青年モオリスが女性と歩いていると、道端で花売りに呼び止められます。売り物のカーネーションが見事だったので、青年は花束を購入し、同伴していた女性ジュヌヴィエーヴに贈ってあげました。

モオリスはマリー・アントワネットの移送の様子をジュヌヴィエーヴに見せてあげるのですが、アントワネットが花束に目を留めます。

「モオリスさん、駄目でせうか」
「いやいや」とモオリス。「花を渡しても大丈夫です」
「ありがとう!」
女王の声に感謝がこもっていた。
マリー・アントワネットはジュヌヴィエーヴに向け優雅に一礼すると、やせ細った指先でカーネーションをひとつ適当に引き抜いた。
「全てお持ちになられても良いのですよ」と遠慮がちにジュヌヴィエーヴ。
「そうはいきませんよ」の微笑み。「大切な方からの頂き物かもしれないでしょう。全て持っていく訳にはいきませんよ」

『赤い館の騎士』第21章より(私訳)

しかし花には仕掛けがあり、女王宛の小さな密書が隠されていました。革命派がそれを見つけてしまいます。最初はモオリスが疑われるものの、花売りの少女が逮捕され嫌疑が晴れることになります。実はジュヌヴィエーヴも隠れ王党派だったのですが、花売り娘の機転と自己犠牲で危地を逃れるのです。

1914 - Le Chevalier de maison-rouge 02

ジュヌヴィエーヴ(中央)から
カーネーションを受けとるマリー・アントワネット(右)

映画(第4部「カーネーションの陰謀」)では流れが少し変えられています。冒頭に密書を仕込んでいる王党派が登場、ジュヌヴィエーヴ本人も折りこんだ手紙を花に隠す作業を手伝っています。冒頭の写真はそこからの一場面です。

この場面を見直してみましょう。背後にはカーネーションを積んだ机が見えています。彩色された白黒フィルムからでも花の色合いが異なっているのが伝わってきます。女性が手にしている花は最も色が濃く、墨で塗りつぶされたようになっています。囚われの女王に花が渡る場面でもやはり選ばれたのは色の濃い一本でした。

原作では「マリー・アントワネットがまだ手にしていた赤いカーネーション」と明記されていました。一般に贈答で用いられるような赤いカーネーションを白黒画像で表現すると、下の様に灰色がかった感じになります。映画版『赤い館の騎士』の女性が手にした花の色合いとはずいぶんと違います。当時の制作者たちが間違ってしまったのでしょうか。

red-carnation1

赤いカーネーションの画像を白黒化した場合。
明度のコントラストは維持されている。

『赤い館の騎士』が撮影された1910年代、映画の撮影はオルソクロマチックと呼ばれるフィルムで行われていました(オルソ・フィルム)。光の三原色のうち青と緑に感光するが赤への感度を持たない、という特殊な性質を持っています。

1919 - Hypersensitizing commercial panchromatic plates

白/赤/緑/青に対する
オルソ・フィルムの感光度を示したグラフ

初期映画で役者が白塗りの顔で演じていた話は有名です。白人と呼ばれる人たちでも肌は若干の赤みを帯びているためオルソ・フィルムで撮影すると黒ずんで表現されてしまいます。不自然さを回避するため男優ですら顔を真っ白にしていた訳です。

色のついた場面を普通にアマチュア写真家が撮影しても、明度が正しく再現されなくなってしまう。白いバラの咲き誇った茂みであればそのままの写真になるのであるが、その隣にある赤いバラの茂みは花が全く咲いていないように見える。赤光線は緑の葉と同程度にしか感光板に反応しないため花の輪郭しか見えなくなってしまうのだ。

1914年『映画業務百科事典(Encyclopedia of motion-picture work)』第2巻より

細やかな陰影を失い、黒で塗りつぶされ輪郭だけになった花。それは『赤い館の騎士』のカーネーションにそのまま当てはまります。撮影時に準備されていたのは原作に沿った鮮やかな赤でした。その「赤」が当時のテクノロジーを通すことで失われ、観衆に届かなかったことになります。

百年の時が経過した現在、デジタルの時代となって古い写真や動画に色を付け、当時の様子をリアルに再現しようという試みが行われています。白黒の古写真をデジタル彩色しネットに投稿している方もいますし、企業プロジェクトも登場しています(朝日新聞と琉球新報による古写真の彩色 2018年3月17日付)。後者では人工知能(AI)が活躍。古い世界を新しい視点、技術で解釈しなおす試みは興味深いものです。

こうした場合、オルソ・フィルムの赤をどう扱っていくかが問題になります。先に触れたようにこのフィルムは赤の光に反応せず、色がない=黒と判断します。そのため、写真に黒い領域があった時、物陰にあるため黒くなっているのか、元々黒だったのか、本来は赤だったのが認識されず黒になったのか見分けなくてはいけません。位置関係から物陰は判別できそうですが、残りの二つを写真のみで判断することはできません。オルソ・フィルム上では赤と黒は等価であって、一度失われた赤を見つけ出すことはできない、という話です。

厳密な再現にこだわらず、黒い領域は一括で影または黒として残し、明るさのある領域に赤系統の色を付けたとしても十分綺麗に見えるでしょう。しかしそれはかつてフィルムとレンズの先に広がっていた世界に肉薄する美しさではなく、ファンタジーの美しさです。

製作者は原作の精神に忠実であろうとしたのですが、誠意が裏目に出て「輪郭だけ」の黒々とした花を記録してしまいました。黒いカーネーションは当時の映画テクノロジーの弱点を浮き彫りにしています。でも視点を変えると「再現されなかった赤」の形でフィルムに「赤」が残されている、そんな風に見ることもできます。

赤に限らず、オルソ・フィルムで撮影された一世以上前の白黒画像を前に元が何色だったか特定できる機会はそう多くありません。『赤い館の騎士』では当時のテクノロジーが不完全だったゆえに白黒フィルムの先にある色に辿りつくことができました。フィルム上に記録されたリアリティ一般とは何か、どう辿りつけば良いかを考えていく不思議な鍵が隠れている気もします。

[初稿] 2012年8月
[最終稿] 2018年5月31日