サイン館・合衆国/カナダ/オーストラリア より
或る日、嬢がローサンゼルスの珈琲店で休んで居ると、隣席に居た老紳士が何を思ひ出したのか一枚の名刺を嬢に示した。それにはガストン・メリエーといふ名が印してあつた。メリエーといふのは活動寫眞界の元老として知られて居る人で、氏は嬢の容姿を見て映畫劇女優たらしめようとしたのであつた。嬢もそれは豫てから望んで居た事であつたので、直ちにメリエー氏の言葉に従つた。そして、その翌る日からトライアングル會社の花形として活動する事となつたのである。
嬢が相手をした男優はドグラス・フェアバンクス氏であつた。飽くまでも明るい華やかな顔とすつきりとした瀟洒な姿‐それは映畫の映りが非常に良かつた。監督者の命令に従順と云ふ事も、上達の一要素となつた。人氣は忽ちの中に盛んになつた。電氣館に上場された「ドグラスの好奇」「ドグラスの厭世」「火の森」「ドグラスの飛行」などは何れもその頃の作品であつた。
一千九百十七年の夏、同社を去つて、フォックス會社に移り、ウィリアム・ファーナム氏の相手を勤める事となつた。「勝利者」のエリザ・アレン、「二都物語」のルシイ・アネッチ、「嗚無情」のコセット、「男が血を見た時」のヴァイオレットなどはその中でも特に出色の出来であると云はれて居る。
『活動名優寫眞帳』
(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)
仏サイン蒐集家、アンドレ・ジュニオ氏旧蔵の一枚。
1910年代にダグラス・フェアバンクス喜劇で愛らしい演技を披露。『二都物語』や『レ・ミゼラブル』(いずれもフランク・ロイド監督作品)でシリアスな役柄にも挑戦。数年の休養を挟み20年代初頭に夫ロランド・ウェストの監督作品でカムバック。ウェストは『バット(The Bat)』の監督・主演を務めていて、ジュエル・カーメンもヒロイン役で登場しています。この復帰は長くは続かずサイレント映画終焉と同時にスクリーンから姿を消しました。
ジュエル・カーメンの名は1935年冬に再び紙面を賑わせます。
同年12月、人気女優セルマ・トッドの死体が発見されます。死因は一酸化炭素中毒。憶測が駆け巡ったものの事件は迷宮入り。ハリウッドのミステリーとして語り継がれていきます。セルマは離婚したロランド・ウェストと付きあっており事件当時は共同でレストランを経営中。遺体の発見された場所はジュエル・カーメン所有地の駐車場でした。
[IMDb]
Jewel Carmen
[Movie Walker]
ジウエル・カーメン