岡田 嘉子 [Okada Yoshiko]

日本・女優より

Okada Yoshiko 1927 Autographed Postcard


筑波雪子やマキノ照(輝)子と共にキネマ界三人女として浮名を流した嘉子の人氣は相變わらず大したもの。何も女優がラヴシーンを實演しやうと駆落ちしやうと騒ぐだけ野暮ではあるまいか。結局行りたくとも相手のない意氣地なしの岡ヤキフアンの餘計な心配である。

兎に角女優としての嘉子は素晴らしい演技と人気を有して居る。彼は純粹の東京ッ兒で明治三十六年四月生れといふから確か二十八歳の筈。大正七年東京女子美術學校洋畫科を卒業、幼時素人劇に出演したこともあり、同八年二月新藝術座が有樂座で開演の時初舞臺を踏む。後舞臺協會の山田一派に加はり更に同志座へも参加する。舞臺協會の提携映畫『髑髏の舞』を撮影し十四年の春日活へ復歸して『街の手品師』を主演して次で『日輪』で滿都の喜ばせいやが上に人氣を煽つた。後竹内良一と手を取つて道行と洒落れ若いフアンをあつと言はせた。罪な女ではある。現に所屬なし。

(『玉麗佳集』、1928年、中央書院)


演劇に、映畫に、彼女の經歴はかなり古い。が、その美しさは少しも衰へない。たゞ近來彼女には以前の純眞さよりも、肉感的なものが多分に備はつて來た。さうして賢明なる彼女はこの武器を利用することによつて、更に一倍の喝采を勝ち得てゐる。鋭い棘をかくして微風に揺れる眞紅の花 – それが今の彼女である。洗練されたその藝は、與へられた如何なる役でも十分こなしおほせる。が、ことに呪はしい戀に爛れた妖婦型の女性は彼女にうつてつけの役柄だ。長年舞臺で苦しんだだけに、トーキー女優としても一流だ。藝能に彼女は圓熟し切ってゐる。しかも彼女は求めてやまぬ覇氣を失はない。(松竹蒲田)

(『東西映畫 人氣花形寫眞大鑑』
1933年1月、『冨士』昭和8年新年號附録)


[JMDb]
岡田嘉子

[IMDb]
Yoshiko Okada

[出身地]
日本(広島)

[誕生日]
4月21日

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