大正9年のアンナ・パヴロワ・バレエ団 より
帝政ロシア期、装飾性の高いメロドラマに才を発揮した映画監督がエフゲニイ・バウエルでした。同監督がヒロインとして重用していた一人が舞踏家ヴェーラ・カラーリィです。
1900年代後半にバレリーナとして頭角を現し、1909年春にパリのシャトレ劇場で大規模なロシアン・バレイの公演が開催された際にはパヴロワ、シャリピアン、モルドキン等と共に参加し現地メディアから高い評価を得ています。1910年代にボルショイ劇場と契約しプリマドンナとして活躍。同時期に映画女優としての活動を開始、『死後』や『瀕死の白鳥』といったバウエル監督の重要作にヒロインとして出演しその人気を高めていきました。
ロシア革命勃発後に亡命、1920年にパヴロワ・バレイ団に帯同しロンドン・ドゥルリー劇場での公演に出演、『眠れる森の美女』『王の娘たち』『タイス』『ヴァルプルギスの夜』等の演目を披露しています。
1910年代にヴェラ・カラーリィ出演の映画が日本で公開された記録はありません。合衆国やフランスなど他国でも同じ状況ですが、アメリカでは1917年から18年初頭にかけ短期間ながらロシア映画を紹介していこうとする動きが見られました。「ロシア藝術映畫社(Russian Art Film Corporation)」です。
同社は1917年前半、ニューヨークを拠点に設立されています。ロシア映画旧作紹介を行いつつ、ロシア芸術座と提携しながら新作を製作していく戦略をとり同年7月には『スペードの女王』をワシントンで上映。その後大々的なキャンペーンを仕掛けていきます。この中で同社の主力の俳優として紹介されていたのがイヴァン・モジューヒン、ナタリア・リッセンコ、ヴェーラ・ハロードナヤ、ヴェーラ・カラーリィでした。
実際にモジューヒン主演作(『描かれた人形』『内なる声』)を含む幾つかの作品を製作、1918年初頭にかけパテ社を通じて公開しています。しかしながら10月革命の余波で頓挫、ロシア藝術映畫社は1918年に活動を停止しています。
当時の合衆国で埋もれてしまった動きではあったものの「一味違う映画(Pictures That Are Different)」のキャッチコピーを売りにした戦略には見るべきものがありました。歴史の流れが少し違っていたらハロードナヤ、カラーリィの新作をアメリカで、或いは日本で見ることが出来たのかもしれません。
[IMDb]
Vera Karalli
[Movie Walker]
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