日本・女優 & 女優別絵葉書ギャラリーより
本名畔柳千代、明治三十五年十一月下谷区二長目に生る。當り役は純な温順しい寂しい娘がよい。幼少から常磐津、踊を習ひ市川佐久江と名乗って横濱の各座や小劇場に出演し歌舞伎座にも出て人氣を博したことがある。大正十一年一月松竹に入社しスターとなる。『踊の夜』『大尉の娘』『雷お新』『高橋お傳』『若き女の死』『侠妓美禰吉』『八百屋お七』『お夏淸十郎』『祇園夜話』『山中小唄』『南の漁村』『美濃谷の娘』『嘘』最近では『戀模様二人娘』の主演があり何れも好評を博す。あの婀娜な姿と特徴のある眼には誘惑されぬものはあるまい。
『玉麗佳集』(1928年)
本名畔柳千代、東京市淺草區に生る。幼少より藝道に精進、常磐津、踊は最も得意。永らく舞臺に活躍し大正十一年一月蒲田スタヂオに入社して現在。主な近作は『戀愛序曲』『黎明の世界』等。身長五尺一分。体重十一貫八百目。趣味は長唄。三味線舞踊。。
『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)
映畫界に、彼女の名はもうかなり古い。-が、あの、涼しい瞳は、いつも同じ幻を追ふやうに、ウツトリと開いてゐる。さうして夕顔の哀愁を持つた彼女の容姿は、少しも年齢によつて蝕まれてゐない。
純日本製の、内気と羞恥をもつた彼女の役々-淚につゞる義理人情を、圓熟な藝はシミジミと見物の胸に滲み込ませる。
だが彼女は所謂萬年娘と呼ばるべき女優ではない。風姿に嫋々たるを失はないの川田みで、いづれの階級、いづれの職業の女も確実に仕こなす。たゞ、彼女は飽くまで日本舊型の女性以外に扮し得ないと云ふだけである。(松竹下加茂)
『東西映画 人氣花形寫眞大鑑』
(1933年1月、冨士新年號附録)
「大正十四年三月、大阪毎日新聞が、初めて映画俳優の人気投票をやり、松竹下加茂の柳さく子が百三十万票を得て第一等になり、俄然映画女優のプロマイドが売れ出して来た」(『最新映画大鑑』)
一時期の人気には破竹の勢いがあり、また松竹の監督であった野村芳亭に気に入られたことで出演・主演本数も増えていきました。
「でもうんと苛めてやつたから胸がスーツとした。いい気味だ泣いていたもん」
大正十四年の『劇と映画』(「キネマ花形物語」)には花川環、五月信子、英百合子が集まって、柳さく子をいじめたエピソードが紹介されています。「彼女の凄腕は動いて容易に芳亭をまんまと恋の虜としてしまったのである。猫を被ってゐた丈に幹部連の反感はあんなに迄猛烈だったのである」。真偽の程ははっきりとしませんが、熾烈なポジション争いを続けていた女優に対立構造が生まれるのはありえる話かな、とも思います。
[JMDb]
柳さく子
[IMDb]
Sakuko Yanagi