日本・男優より
スポーツ俳優の第一人者でフアンの人氣を一人で背負つて立つ彼。素人しては驚くべき成功といはねばなるまい。
彼は下谷區上野櫻木町の炭屋に生れたチヤキチヤキの東京ツ子。明治三十三年生れ、往年明大の経濟科に通學の傍ら神田神保町に『すゞき』といふ喫茶店を從妹と經營したという變り者。元来映畫が好きなところから學業の餘暇小山内氏の松竹キネマ研究所で映畫を研究し第一囘試作映畫『路上の靈魂』で主役を振られたを皮切りに大正十一年に模範活動寫眞が創立され『大親鸞』で善鸞に扮して大に天才を發揮して好評を博した。超えて大正十三年明大商科を卒へて商學士の肩書付となつたが算盤の桁を外して遂に京都の日活撮影所に現はれ『塵境』『我等の若き日』『金色夜叉』に主演して好評を博す。後松竹に轉じて『海人』『受難華』『海濱の女王』『海の勇者』『森の若者』に主演し益々人氣を高め、蒲田の最高幹部俳優として一般フアンから騒がれ就中若き男女の共鳴を享けてゐる。最近の人氣投票では見事に最高點を獲ち得てゐる。
趣味は運動、有らゆる競技と讀書。
『玉麗佳集』(1928年2月、中央書院)
彼も今年(昭和八年)三十四歳。まつたくの男盛りになつた。
五尺九寸、十七貫の強靭な偉躯。その容貌は日本人として稀な泰西的現代味を持つ。明大出身で学生氣質の抜けない彼は常に明朗快活だ。その演技は青空高く千貫を巻き上ぐる起電機の溌溂さ、唸る發電機の壮烈さを見せる。
水泳は彼の本技だがその他あらゆる競技に理解と經驗とをもつ。スポーツ俳優として彼は實に空前である。『陸の王者』『若者よなぜ泣くか』『熊の出る開墾地』は傑作中の傑作だ。かうして今、彼は、『金色夜叉』に於る荒尾譲介にまで扮するやうになつた。彼が現在の苦闘は彼を鞭打つて更に幾多の佳作を世に送り、デンチ・フアンを満足せしめるに違いない。(不二映畫)
『東西映畫 人氣花形寫眞大鑑』
(1933年1月、『冨士』昭和8年新年號附録)
[JMDb]
鈴木伝明
[IMDb]
Denmei Suzuki
[出身地]
日本(東京・上野)
[誕生日]
3月1日