「 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

初めて映畫界の人となつたのは一千九百十四年の夏のことで、その時にはウィールド會社に這入つたのであつた。ブラニーの原作にかゝる「太平洋を横斷して」といふ映畫に出演したのが最初であつた。同社に暫く止まつて居たが、後オール・スター會社に移つて「曠野のビーエル」といふ映畫を撮影した。
一千九百十五年六月、名監督トーマス・エッチ・インス氏と相識つて茲にトライアングル會社のインス映畫の女優となつたが、氏に師事すること約四箇年、嬢の今日の名聲ある所以は、全くインス氏の指導に依るものであると云つても差支えない。
一千九百十七年、インス氏が同社を去るに及んで、嬢も行動を共にし、パラマウント映畫に移つてインス映畫部に專属する事となつた。エチ・ビー・ワーナー氏と共演した「侵略者の群」は、嬢がインス氏に従つて以後の第一回作品である。
嬢の出演映畫の輸入されたものは、昨年キネマ倶樂部に上場された「絶海の眞珠」と「女辯護士」とがある。その中「絶海の眞珠」は特に名寫眞として當時の問題になつたものである。嬢は娘役も女房役も相當に演るらしいけれども、その最も得意とする處は、何に依らず全て性格役と名付けられるものにあるらしい。容貌に幾らか難はあるけれども、全體の輪廓が明るい爲めに表情などには少しも厭味がない。嬢は今尚ラスキー社パラマウント映畫に出演してゐる。
『活動名優寫眞帳』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)
1910年代半ばから女優の活動を始め、1917年に早くも西部劇『ユーコン河の侠妓』で名を上げます。役に恵まれない時期が続くも20年代初頭にはルドルフ・ヴァレンチノと『海のモーラン』で共演、健在を見せつけました。当時女性的と揶揄されたヴァレンチノに男装姿のダルトンを配し、倒錯した雰囲気も出ている不思議な一作でした。
[IMDB]
nm0198272
[Movie Walker]
ドロシー・ダルトン
[誕生日]
9月22日
[出身]
合衆国(シカゴ)
[撮影]
Witzel
[コンディション]
A-
[時期]
1917年
[入手年月日]
2017年7月