日本・男優より
スクリィンの名優、早川雪洲は、「せりふ」の点にかけては、さすがに難色が見える。工夫に余つて、当てずつぽうな調子さへ処々出て来る。勿論自分でも気がついてゐるに違ひない。あの堂々たる美声をもつてすれば、普通に話をするだけで、普通以上魅力ある「せりふ」となるだらう。
岸田國士 「抽斗にない言葉」 (初出『都新聞』1931年1月17日)
トーキーの時代となり日本へと戻った早川氏は舞台劇に挑戦。昭和5年(1930年)に『天晴れウオング』に出演、翌6年(1931年)に『第七天国』で尾上菊枝嬢と共演。こちらの絵葉書はその『第七天国』と思われる一枚で、両主演の連名サインを見ることができます。
本名近藤冨志、大正四年神田佐久間町に生る。精華女學校現在學中、大正十四年十二月市村座にて『戻り籠』の禿(かむろ)が初舞臺。菊五郎門下。踊は若柳吉三郎踊について教はる。趣味は水泳と料理。鏡獅子の彌生、紅葉狩の鬼女などは當り役。現在菊葉會の首腦。
『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』(1931年)
尾上菊枝さんは近代歌舞伎で初めて名題となった女性で1931年に狂言師の九代目三宅藤九郎氏と結婚。お孫さんにやはり狂言師の和泉元弥さんがおられます。