東亞キネマ サイン帖より
明治三十六年十二月八日出生。本名は高橋照市。幼少より舞臺に出演す。義理の兄嵐徳三郎一座にて人氣を呼んで居た嵐和歌太夫は彼の前身である。昭和二年四月マキノ省三氏の下にて活躍の目的にて入社し最近迄月形友三郎退社のマキノを背負ひ起ち劔戟界の猛者として君臨せしも都合にて脱退し映畫プロに轉社、入社第一回主演映畫は「角兵衛獅子」外「鬼あざみ」「忠臣蔵七段目」「合點勘次」「百萬兩秘聞」「強者」「裏切る跫音」「實録忠臣蔵」「間者」等に主演。身長は五尺四寸、體重は十六貫九百匁。現住所は京都市木屋町二条下ルである。
「嵐長三郎改め 嵐 冠壽郎」
『日本映畫俳優名鑑』(1928年7月、映畫世界社)
アラカンこと嵐寛寿郎、以前に紹介した晩年の年賀状に続く2点目のサイン物。サイン部分に若干の汚れがあります。
嵐寛寿郎にとっては自身のプロダクションを畳んで(1929年初頭)大手プロダクションに所属し直し態勢を立て直していた時期に当たり、この東亜キネマ時代の『右門捕物帖』(29年末)が鞍馬天狗に続く第2の当たり役となってアラカンブームを確実なものとしていきます。
連名でサインのあるのは正邦乙彦氏。沢村四紀松~小明肇~久松三郎の名で子役として活動、1930年頃から主演がつくようになります。東亜キネマ消滅の後はエノケン一座を経て大都映画に登場。戦後は浅草で日本初のストリップショー興行を行い、ジプシー・ローズを発見するなど「ストリップの父」と呼ばれた人物だそうです。
[JMDb]
嵐寛寿郎
[IMDb]
Kanjûrô Arashi
[JMDb]
正邦乙彦
小明肇
[IMDb]
Otohiko Masakuni