東亞キネマ サイン帖より
明治三十七年三月二十六日横濱に生る。父の主宰せる劇團にて子役を勤め、舞踊を山村若子に三味線を杵屋の師匠に學ぶ。大正十二年アシヤ映畫創立すると同時に入社、大正十四年九月病氣のために退社。昭和二年十月松竹下加茂スタジオに入社、「辨天小僧」に出演以來今日に及ぶ。主なる主演映畫「二人の父」「去り行く影」「千鳥ヶ淵」「地獄谷心中」「一躍大家」「笑つて働け」「戀愛合戰」「肉彈」「嵐の秋」「若き日の忠次」「龍巻」「辨天小僧」「大瀨の半五郎」等。身長五尺二寸五分、體重十一貫六十匁。趣味-三味線、舞踊。嗜好物-洋食、天婦羅、シユクリーム。現住所-京都市下加茂宮崎町一二八松本泰輔氏夫人である。
『日本映畫俳優名鑑』(1928年7月、映畫世界社)
劇団座長である松尾二郎の子として生まれ、子役経験を積んだのち、19才で映画界に転身。帝キネの『一躍大家』でヒロイン役を務めるなど順調にキャリアを積んでいきます、その後松竹~東亜~東活へと映画会社を転々としていきます。
東亜キネマには1930年半ばから参加しており、このサインは同社に合流して間もない時期のものと推察されます。
並んでサインのある倉島八千代さんについて詳しい経歴は分かりませんでしたが、1931年に公開された東亜作品『家庭難船誌』で小間使い役としてクレジットされています(「捨子する女」の役で久世小夜子さんも出演)。
[JMDb]
久世小夜子
[IMDb]
Sayoko Kuze