及川 道子 (1911 – 1938)

「日本 [Japan]」より

Oikawa Michiko Autographed Postcard
1930s Oikawa Michiko Autographed Postcard

本名及川道子。明治四十五年東京市に生る。東京音樂學校一ツ橋分教場聲樂科三年修學。昭和三年第一外國語學校英語科を卒業その間劇研究を續けること前後六年、昭和四年松竹蒲田に入社す。主な近作は「不壊の白珠」「女よ汝の名を汚す勿れ」等々。身長五尺一寸五分。體重十一貫。趣味は音樂、讀書。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

清麗白蓮の氣高さを持つ及川は蒲田エクランが誇る永遠の處女である。彼女は熱心なキリスト教徒で、その清純無垢の娘らしさがスクリーンにもにじみ出て居り、こゝに彼女の誇りがある。東京澁谷の生れで東京音樂學校分教場で聲樂を學び、芽生座、築地小劇場を経て、昭和四年松竹蒲田に入社した。以来その典雅な風貌と巧みな演技で一作毎に人氣を博し、今や本邦の代表女優と稱されている。身長五尺一寸五分。體重十一貫五百。本名及川道子、二十三歳。

『處女作・出世作・代表作 映画花形大寫眞帖』
(1934年1月、冨士新年號附録)

1911年、東京に生まれる。東京音楽学校の一ツ橋分教場声楽科在学中に、小山内薫の紹介で築地小劇場に加入。初舞台は1924年。1928年には「そら豆の煮えるまで」で主役に抜擢され、次いで「青い鳥」ではチルチル役、「三人姉妹」ではハ-プ弾きの少女を好演する。

1929年、映画批評家・内田岐三雄の推薦で松竹に入社し、『不壊の白珠』で映画デビュー。『恋愛第一課』や『抱擁』では、岡田時彦の相手役として出演し、知的でスマ-トな演技をみせた。その他に鈴木傳明の妹を演じた『野に叫ぶもの』や、トーキー初期の『頬を寄すれば』『愛の防風林』『港の日本娘』などで、島津保次郎や清水宏といった有名監督の作品に出演し、活躍。田中絹代、川崎弘子と並ぶ人気を獲得したが、病身のため、せっかく出演が決まったのに、代役を立てなければならないことがあったという。

『家族会議』のヒロイン・仁礼泰子役が映画出演の最後となり、1938年に夭折した。昭和ひとケタ時代の女優の中で、インテリ層に特に人気が高かったという。松竹蒲田の映画作品に新鮮な息吹を与えたばかりでなく、稀にみる清楚なイメージのキャラクターであった。

『日本無声映画大全』
(2000年、マツダ映画社監修)

[IMDB]
nm1508894

[JMDB]
p0080800

[出身]
日本(東京)

[生年月日]
10月20日

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