日本・女優より
明治廿三年八月芝區琴平町に生る、大阪梅田高等女學校の前身堂島を卒業し、目白の女子大學に入り文學科を卒業した。學生時代運動と藝術が好きで卒業後は文筆を以て立たうと決心して居た。當時殆ど演劇など見物した事も無かつたが、卒業後筆のみでは思ふ儘に考を發表しかねると云ふので遂に藝を以てそれを表して見ようと決心し、坪内氏の文藝協會に加入した、そして四十三年故松井須磨子の「マグダ」に娘マリーを演じた。之が初舞臺で其後舞臺協會に二三回、文藝座等に出演した。映畫出演は大正八年國活角筈に入り、五味國太郎等と『短夜物語』に表れたのが最初で井上正夫の『寒椿』『海の人』に好評を得、爾來同社の主脳として活躍して居る。金策に『青春日記』『靈光の岐』等がある。得意は深刻なヴアムパイアー性格役、趣味は讀書、旅行、身長五尺一寸體重十二貫、獨身。
『俳優名鑑 大正11年度』 (キネマ同好会、1922年)
本名河野千歳。明治廿三年八月芝琴平町に生る。女子大學卒業後坪内氏の文藝協會に入り舞臺に立ち、舞臺協會文藝座等に出演せし事あり。映畫としては最初國活に入り寒椿其他に現はる。十一年松竹に轉じ現在に至る。深刻なる女性を出すを以て知らる。
『大正名優鑑 「劇と映画」臨時増刊』(国際情報社、1924年)
映畫女優としてよりも、文藝協會、舞臺協會、文藝座等、過去の新劇の女優として其名が高い。映畫の處女出演は、舊國での「短夜物語」で、松竹に入つてからは井上正夫と共演の「海の人」外多數の作あり。近時側役として重きをなす。女子大學出身の能辯家、容貌も藝も立派である。
『映畫と劇』「林千歳嬢」
(國際情報社、1925年3月号)
大阪堂島の高等女學校を卒へてから目白の女子大學の英文科をも卒へた – というだけでも映畫女優中第一の學者である。東儀鐵笛氏の引きゆる文藝協會の「マクベス」を初舞臺に舞臺協會及び文藝座と劇壇の人として相當の人氣を博したものである。大正九年國活創立と共に入社して五味一派と共に「短夜物語」などを撮影して一新天地を開拓したものである。
明治二十五年八月二十一日、東京市芝區琴平町に生る。本名を河野千歳と云ふ、身長が五尺一寸二分、體重が十二貫五十匁ある。現住所は東京市外青山原宿六十三番地。
『裸にした映画女優』(日本映画研究会、1925年)
[JMDb]
林千歳
[IMDb]
Chitose Hayashi