サイン館・フランスより
佛國新進の花形女優として知らる、一九一九年パテ社と契約して出演しその名を謳はる。劇『戀のサルタン』
『俳優名鑑 大正11年度』
(キネマ同好会、1922年)
この優美な女優はトゥーレーヌの穏やかな空の下で生を受け、若くしてパリに上京し舞台を志した。その雅さ、作為のない演技でミシェル劇場、アンビーク喜劇座、シャトレ座と次々に成功を収め、とりわけ『伍長になった女の子』を絶妙に演じてみせた。しかしながらフランス・デリア嬢はほどなくして舞台を離れて撮影所に移りデノラ氏と共に『姉に売られたジョゼフィーヌ』で女優デビューを果たす。次いでゴーモン社と契約を交わし『愛の難破船』『ジネット』で注目を浴びたが、何より『戀のサルタン』でその才の如何なく発揮し、以後は出演毎に評判を呼ぶようになった。
『ギターとジャズバンド』出演のフランス・デリア嬢
シネ・ミロワール誌38号、1923年11月15日付
Cette gracieuse artiste, qui naquit sous le doux ciel de Touraine, vint de bonne heure à Paris, faire du théâtre. Sa grâce et son naturel lui valurent de francs succès sur les scènes du théâtre Michel, de l’Ambique et du Châtelet où elle fut notamment une délicieuse “Petite Caporale”. France Dhélia devait, cependant, bientôt quitter les planches pour le studio et débuter dans l’art muet avec Dénola dans Joséphine vendue par ses soeurs. Elle fut engagée ensuite chez Gaumont et se fit remarquer dans les Epaves de l’amour et Ginette, mais c’est la Sultane de l’amour qui consacra définitivement son talent. Depuis, ses créations ont toujours eu un grand retentissement.
France Dhélia, dans LA GUITARE ET LE JAZZ-BAND
Ciné-Miroir, No.38, 15 Novembre 1923 (4ème de couverture)
1910年代末~20年代前半を代表する仏女優フランス・デリアのメッセージ入り写真。1923年作品『ギターとジャズバンド』撮影時のポートレイトで、1924年4月2日にスイスを訪れた女優が「ジュネーヴに立ち寄った思い出に(En souvenir de mon passage à Genève)」と書き残しています。
以前(2015年4月末)にジュネーヴの古書店のカタログに埋もれていたのを見つけ注文したものですが、お店側がオンライン決済や銀行送金に対応しておりませんでした。そこで「リスクは承知ですのでスイス・フランを直に送ります」と相談したところ「現金を郵送する費用や両替の手数料もかかりますよ」と一円もとらずに日本まで郵送して下さいました。個人的に思い入れのある一枚でモード・ファーリーの写真と並んで今でも部屋の目立つところに飾ってあります。
シネ・ミロワールで触れられている『戀のサルタン』(1919年)は彩色で公開された美しい作品、千夜一夜風の異国奇譚にアクションやロマンス、喜劇を織り交ぜています。悪人役のガストン・モド、従者役マルセル・ルヴェスク、お姫様役にフランス・デリアと配役が絶妙で後に監督として名を馳せる画家マルコ・ド・ガスティーヌがセットのデザインを担当しこの時期の仏映画には珍しいエンタメ性の高い秀作に仕上がっていました。
また彼女の出演作では1924年公開の『ネーヌ』が9.5ミリ化されています。当方は所有していないものの米プリンストン大学のパテベビー・コレクションがデジタル版を公開。この作品では美貌を鼻にかけ、浮薄な生活に憧れヒロインを虐めるヒール役を熱演していました。
[IMDb]
France Dhélia
[Movie Walker]
フランス・デリア
[サイズ]
16.7×22.5cm
[データ]
1924年4月2日、フルニエ・マルギ氏宛。