「フランス [France]」より

ガブリエル=ロバンヌは飽くまで華麗な仏蘭西の女性である。彼女の持つ美。それは一時に何者をも直ちに感受せしめねば止まぬ、實感性の強い美である。而も彼女には他に求め得られぬ氣品が保たれて居る。さうしてロバンヌの美しその姿態より生れる彼女の技藝、そこには又情味と熱に富んで居る事も思はなくてはならない。『船火事』の如き『宮殿の怪火』の如き、『優しき復讐』の如き『空中王』の如き『呪の縁』の如き、美しい感じ好いパテー映畫は我々に永久に消えないロバンヌの印象とその藝術の影とを残して呉れたのである。
ロバンヌは映畫界の名聲もさる事ながら、巴里の劇界の名望は偉大なものである。コメデー・フランセイ座附名女優として彼女の名は佛国の隅々までも喧傳されて居る。佛国パテー社は早くルネ・アルクサンダー氏を相手役として、ロバンヌの出演映畫撮影に從い數多の映畫を完成させて居った。その内戦亂となりその製作能力は衰へたが、一昨年頃より更にロバンヌ夫人と新契約の下に數多の新映畫を撮影して今日に至つて居る。ロバンヌの名聲、夫は今も尚輝いて居るのだ。
「歐州活動女優物語:ガブリエル・ロバンヌ夫人」
『活動画報』 1919年8月号
宛名面に「14年4月9日」のメモ書きあり。
1900年代に美貌を謳われた女優さん。コメディ・フランセーズ座の活動を中心としながらも折に触れ映画に出演していました。
確認できる最も古い作品はセグンド・ド・ショーモン監督による『吟遊詩人(トゥルバドール)』(1906年)、後半に一瞬窓際に立つお姫様として登場。『ギーズ公の暗殺』(1908年)ではギーズ公の愛人である侯爵夫人役で出演。その後もパテ社の初期短編(アルベール・カペラーニ、ルネ・ルプランス)で姿を見ることができます。
一般の人気があったのは1900年代で、この頃はクレオ・ド・メロードと並ぶ美人女優として無数の絵葉書が流通していました。なのですが1913年の『女心』を見直してみて、人気の落ち着いた10年代以降の方が演技力・表現力共に安定していたと思います。9.5mmフィルムでは『ギーズ公の暗殺』以外にもニュースリールで登場していたのを見た覚えがあります。
ゴーモン・パテ・アーカイヴ蔵
[IMDB]
Gabrielle Robinne
[誕生日]
7月1日
[出身]
フランス(モンリュソン)
[サイズ]
9.0 × 14.0cm