日本・女優より
日本館へはまた、白痴の脂肪のような河合澄子が帰つてきた。
沢カオルは観音劇場から浅草劇場へ引越した。田谷力三や柳田貞一も、消えたり現れたりだ。オペラ役者の蔵ざらへも、もう沢山ではないか。
電気館のパラマウント・シヨウの第四回と第五回 ― これは六月のことだが、春野芳子のジャズ・ダンスと南栄子のチヤアルストン、これだけがやつと一九三〇年らしい踊なのだ。
『淺草紅團』川端康成(1930年『新潮』9月号掲載)
衣笠貞之助監督の『狂つた一頁』(1926年)での前衛的な舞踏で知られているダンサー/舞踏家。衣笠氏の回想によると新国劇の女優・渡瀬淳子さんの推薦だったそうです(『わが映画の青春』衣笠貞之助著)。







1922年に母体が設立された松竹楽劇部の第一期生とされていますが、当時物のパンフレット等でのクレジットは確認できておらずいつまで在籍していたのか不明。
日本でも、昭和二年、日活京都の映画女優、小西節子、南栄子、松浦ちどり、香川マチ子、浦路輝子らが断髪したため、撮影所長の池永浩久がひどく怒って、これら女優の髪がのびるまで出演及び外出禁止の厳命をくだしたという。
『雑学歌謡昭和史』 西沢爽(1980年、毎日新聞社)
1930年代にメディアに登場していた記録が幾つか確認できています。
- 1933年阪和濱寺海水浴場での舞踏大会で舞踊を披露
- 1933年の『婦女界』グラビアで舞姿を披露
- 1938年度版『朝日年鑑』の「音楽家録:洋樂の部」で麹町の現住所の記載あり
1931年の直筆サイン入り写真を紹介している古本屋(くまねこ堂)さんのブログ記事が非常に有名で、その写真がピンタレスト等のSNSで繰り返し拡散され、ウィキペディアの写真としても使われるようになりました。今回入手した絵葉書は1920年代ではないかと思われる一枚です。
[JMDb]
南栄子
[IMDb]
Eiko Minami