今回のコロナ禍をめぐる報道では1918~1920年に発生していたスペイン風邪が繰り返し話題に上っています。医療体制も整っていない時代の世界的感染は凄まじいもので、その影響は映画や演劇界にも及んでいました。当時のスペイン風邪で失われた才能のひとつがハンガリーの舞台女優バンキー・ユディット (Bánky Judit)でした。
10代の頃から演劇学校に所属、1913年から端役として舞台に立ち始めます。1914年、卒業後にセゲド国民劇場と契約、その後コメディー劇場に転籍し知名度を上げていきます。

1917年、映画監督アレクサンダー・コルダが自身の映画会社の第2弾として制作した『カリフの鶴(Gólyakalifa)』でヒロインに抜擢されました。共演は当時の男優で最も人気のあったオスカー・ベレギ。『カリフの鶴』はイスラム世界を舞台にした寓話的な物語で、ロッテ・ライニガーによるアニメ作品が良く知られています。コルダ版は舞台を現代に移した形のようです。

1918年に第一次大戦が終戦。ハンガリー演劇に活気が戻り始めたこれからというタイミングで不幸が訪れます。折しも欧州全土を襲っていたスペイン熱に罹患、重度の肺炎を患い1918年10月に亡くなっています。
スペイン熱の大流行で病院を4度移る羽目となりそこから戻ることはなかった。肺炎の併発に華奢な体はとても耐えきれず、日曜の午後、若く美しい、才能に満ちた気立ての良い若手女優は22才の若さでこの世を去った。
マジャールオルザーク紙 1918年10月29日付
Betegségéhez tüdőgyulladás járull, amelylyel gyenge fizikuma nem birt megbirkózni s a viruló Szépségű, tehetséges és nagyon rokonszenves fiatal színésznő szombaton délután, huszonkétéves korában meghalt.
Magyarorszag (1918-10-29, p.193)

ハンガリーではこの一か月前にセントジョールジイ・マールタ(Szentgyörgyi Márta, 1888 – 1918)が似たような亡くなり方をしています。立て続けの訃報はハンガリーの演劇界に大きな衝撃をもたらしました。
[IMDb]
Judit Bánky
[Movie Walker]
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[出身地]
ブダペスト(ハンガリー)