ファニー・ワード Fannie Ward/Fanny Ward (1872 – 1952)

サイン館・合衆国/カナダ/オーストラリア より

Fannie Ward 1927 Autographed Postcard

嬢をして今日の人氣を博せしめた作品は、一千九百十四年に、早川雪洲氏やヂャック・ディーン氏などと一座して撮影した日本劇「チート」である。この映畫を製作して以来、嬢は米国映畫界の首腦女優となつた。

爾来、「テネッシーの赦罪者」「國防の爲めに」などを撮影して、益々名聲を昂めたが、昨年の始めに、パセ會社のエストラ映畫の專属女優となつた。

目下は、ラスキー會社の初舞臺當時に戀に落ちたヂャック・ディーン氏と結婚して、幸福な樂しい生活を送って居る。

當年四十四であるけれども、尚未だ二八の少女のやうに、若々しい容貌と豊かな肉體とを持つてゐる。嬢が斯界に喧傳される所以も一つには、この絢爛たる名花の趣を備へて居る爲めである。しかし、技藝そのものから云つても、嬢は優に大花形の中に加へられるだけの天分を持つて居る。

『活動名優寫眞帳』
(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)


『チート』でのファニー・ワード

1910年代にハリウッドで花形となった女優としては最も芸歴の長い一人で1890年代にはすでにブロードウェイの舞台に立っていました。英米を股にかける形でキャリアを積み上げていくものの、1910年代半ばに舞台での人気が翳りを見せる中でデミルの要請に応じて映画女優に転身。1915年公開の『チート』(ラスキー社)でトップ女優の仲間入りを果たしました。

その後しばらくラスキー社花形として活動、1918年にパテ社傘下のアストラ社に転籍。パテ社が「特選長編(Extra-Selected Feature)」として配給した第一作がファニー・ワード主演の『お雪さん(A Japanese Nightingale)』でした。

日本人から見ると不自然なセットや設定が目につきますが当時の欧米の観衆はエキゾチックな魅力を感じたようです。1922年には3リール物の短編に編集されて再公開されるという当時としてはやや珍しい運命を辿った一篇です。

ムービング・ピクチャー・ワールド誌1918年8月17日

1920年代半ばに米パテックス社が9.5ミリ小型映画を市販し始めた時『お雪さん』が9.5ミリ化されたのもこの延長上にあります。ファニー・ワード出演作では実はもう一作『ミュージックホールでの初舞台』という作品が仏パテ社から9.5ミリ形式で販売されていました。短い抜粋ですが『チート』でも『お雪さん』でもありません。「遺失」作品の一部ではないのかなと気になっています。

サイン物は今回が2枚目の入手。絵葉書サイズのカードに名前と「1927年」の年号が手描きされています。もう一枚は仏シネマガジン誌のプロマイド写真で裏面に日付、仏語メッセージ、名前、住所が書かれています。

Fannie Ward Autograph

謹しんで、1921年8月10日
ファニー・ワード
シャンゼリゼ通り114番

Sincèrement à vous, 10-8-21
Fanny Ward 114 Av. des Champs-Elysées


[IMDb]
Fannie Ward

[Movie Walker]
ファニー・ワード


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