ダマール・ゴドウスキー、1930年代後半の直筆書簡 Dagmar Godowsky (1897 – 1975) 露/米

合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]より


本当にとても傷ついております。カクテルパーティーにご招待したのはキプリン氏に引きあわせようと思ってのことで、「後で連絡するよ」と仰ったにも関わらずその後は梨のつぶて。何があったのですか。来週は船旅の予定となっているため、確実に連絡のつきそうな日曜の早い時間帯に電話くださいね。貴方の怠慢にもめげぬ温かい心持ちをこめてダマール・ゴドウスキー


I am really very hurt. I invited you for cocktails to meet Kiplins and you said you would let me know, but never a word ! What happened ? I am sailing next week so do call me sunday early that will be the best time to reach me. In spite of your neglect warm feelings Dagmar Godowsky


1920年代にニタ・ナルディやヴァレスカ・スラット等と並ぶエキゾチックな女優として評価を得ていたのがダマール・ゴドウスキーでした。名ピアニスト、レオポルド・ゴドフスキーの娘として生まれ、第一次大戦開戦後に父と共に合衆国に移り住みました。

映画デビューは1919年で、アルベール・カペラーニ監督がナジモヴァを主演にして撮ったハリウッド無声版『紅楼夢』(邦題『赤き灯』)でした。翌年からユニヴァーサル社作品に出演するようになり、同社の花形男優のフランク・マイヨと結婚。1922年にはロン・チェイニー主演作『狼の心』ヒロインを務めました。

フォトプレイ・マガジン 1922年6月号

その後ヴァレンチノ主演作の『情熱の悪鬼』(1924年)などに妖婦・ヴァンプ女優として登場、1920年代末には映画業界から離れ、社交界でその存在感やユーモアに長けたコミュニケーション能力を発揮していくことになります。

今回入手した書簡は(以前に紹介したサンドラ・ミロワノフ宛と同じく)仏ジャーナリストのルネ・ブレステ氏に送った一通。パーティーの招待をスルーされたダマールさんが恨み節を交えて再度連絡するよう迫った内容。シャンゼリゼ通りのカールトン・ホテルの専用便箋が使われています。


[IMDb]
Dagmar Godowsky

[Movie Walker]
ダマール・ゴドウスキー

<[出身地]
ロシア(ヴィルナ、現リトアニア)

[誕生日]
11月24日

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