『サアサア、行け行け、今日こそは思ひのまゝに腕だめしをしてやるぞつ…』と、乾分どもはわいわいと出かけて行くので、今や大利根一帶の沿岸は殺氣滿ち充ちて今にも血の雨、血の川は目前に現はれ出るやうな氣がして來るのであつた。
斯うして居る中にも兩方の人數が次第次第に接近して來た、そして愈々大殺陣が布かれて、一大爭鬪が起らんとして居るのであつた。
時しもあれ、此の大利根の流れ沿ふて此の邊を通りかゝつたのが其の頃男の中の男と云はれ、侠骨いういうたる大前田英五郎であつた。




上州では相良金三郎(尾上紋彌)と久宮の丈八(頭山桂之助)一党の抗争が激化していた。劣勢を感じた金三郎は火の車のお萬(原駒子)に助勢を頼むが、その動きが挑発ととられ殺気立った丈八一党が結集、利根川河畔で大喧嘩が始まろうとしていた。たまたまそこを通りかかったのが大前田英五郎(嵐寛壽郎)であった。事情を聞いた英五郎は仲裁に入り一旦その場を収めるのに成功した。とはいえ火種が消えたわけではなかった。英五郎はお萬に惹かれていく一方、乳姉弟であるおつまが丈八の妻であるのを知り板挟みとなっていく…
嵐寛壽郎が東亞キネマで俳優キャリアの再構築に取りかかっていた時期の一作で、『鞍馬天狗』(1929年7月13日公開)と『右門一番手柄』(1929年11月1日公開)の間に公開されています。原駒子、尾上紋弥、頭山桂之助など東亞期のアラカン出演作ではお馴染みの面々が脇を固めているほか、後の山中貞雄監督が「社堂沙汰夫」名義で助監督を務めていました。
日本映画情報システムを含めた幾つかの日本語情報サイトでは「おおとねのたて」で登録されています。しかし物語は剣戟振付の「たて」と関係ありませんし、解説本でも「大殺陣/だいさつじ(ん)」の読み仮名が振られていいました。素直に「さつじん」と読むのが正ではないかな、という気もします。
[JMDb]
大利根の殺陣
[IMDb]
Ôtone no satsujin
[出版年]
1929年
[編集兼発行者]
瀧本昇
[発行所]
瀧本時代堂
[ページ数]
16
[フォーマット]
10.5 × 14.8 cm