
“Orochi (Serpent)” (1925, Bandô Tsumasaburô Production, dir/Futagawa Buntarô)
Yukawa-Meibunnkann “Eiga-Bunko (Collection Cinema)” Novelization
湯川明文館による映畫文庫の第2番として公刊されたのが『雄呂血』でした。公開から約4か月後の1926年3月5日に初版。同月の10日までに十五版を重ねています。全124頁。表紙は二色刷り。冒頭に4枚のスチル写真があり、はしがき、目次、配役一覧と続いてから13章仕立ての本文に入っていきます。
本文の再現度は高く、文章も丁寧で読み応えのあるものでした。読みとおした印象としてはDVD版とほとんど差が無かったものの、幾つか解釈の違いが見てとれました。
例えば平三郎が飲み屋の喧嘩に巻きこまれ捕縛された後のくだり:
デジタルミームDVD版 字幕 | デジタルミームDVD版 弁士ナレーション | 湯川明文館・映畫文庫 | |
![]() | 再び捕らえられた平三郎は、何日か経ってやつと解き放たれた。…がしかし、無頼漢(ならずもの)平三郎の名は町中に、それからそれへと伝えられたのであります。平三郎が通れば、道行く人は目引き袖引き、避けて通つていく… | 道を歩くと人々は大抵平三郎をじろじろ見て、まるで狂犬か何かのやうに道を避けて通つた。針仕事最中の小娘共は、格子から覗いて後ろ指を差した。 | |
![]() | ありゃあ無頼漢だぁ モシ、彼奴の傍へ寄つちや不可ませんぜ。彼奴は命知らずの無頼漢ですから | 「ありゃあ無頼漢だぁ」 「モシ、彼奴の傍へ寄つちや不可ませんぜ。彼奴は命知らずの無頼漢ですから」 「おお、そうか。くわばらくわばら」 | 「あれ御覧、あの人怖い人よ。」 と囁いてゐるに違ひない。 |
![]() | 遊び戯れている子供までが 「おお、面白いか?…どうした」 「あ、無頼漢だ」 「なぜ逃げる…なぜだ。分からん。俺はどうして、こんなに人から怖がられるのであろう…分からん。なぜだ、なぜなのだ」 | 未だあどけない子供達でさへ、よくよく親からでも云ひ付かつてゐるものと見え、平三郎の姿を見ると 「うわー、逃げろ逃げろ」 と逃げて行つた。 | |
![]() | 重ね重ね、みじめな姿を大道に曝した平三郎は、その実、善良な人間でありながら、つひに町の人々から怖ろしい無頼漢(ぶらいかん)として嫌悪され、忌避されるようになつたのであります | 平三郎は淋しかつた。この土地が不愉快でもあった。だが、お千代のことを思ふと、後に心牽かれて、此の土地を立つこともできなかつた。 | |
![]() | 俺が一体何をしたというのだ。俺は決して無頼漢ではない。俺は善良だ。皆世間の奴らが勝手に俺を無頼漢にしてしまつているのだ。 | 「俺が一体何をしたというのだ。俺は決して無頼漢ではない。俺は善良だ。皆世間の奴らが勝手に俺を無頼漢にしてしまつているのだ」 | 「お千代に一度遭つて、その心を聞きたいものだ。あの子が俺の心を暖めて呉れさへすれば、世間の奴等が皆敵になつたつていゝや。」 |
![]() | 平三郎はじれったいやら、くやしいやら悲しいやらで、苦悩はいよいよ深まるばかり。 「この世の中で誰一人、俺の真の心を知つてくれる者はいないのか…」 |
DVD版の語りでは「無頼漢(ならずもの/ぶらいかん)」の語が繰り返し登場。阪妻演じる主人公が「俺は無頼漢ではない」と人々からの無理解に悩んでいる姿が強調されています。
作品冒頭の字幕「無頼漢と稱する者必ずしも真の無頼漢のみに非らず」は本作の主題の一つ。弁士の語りはそれを膨らませ、反復することで悩み続ける主人公の姿を強調していきます。一方で映畫文庫版には「無頼漢」の要素が完全に消えています。「世間の奴等が皆敵になつたつていゝ」は元コンセプトからやや外れている感じ。
また小説版では長尺で展開される結末の大捕物が2行で済まされています。挿入された4枚のスチル写真にも剣戟場面はなく、乱闘場面より人間関係が重視された解釈に。初恋の相手・奈美江(環歌子)とその姿に重なりあう町娘・お千代(森静子)への思慕に比重が置かれているのです。鬼気迫る要素を抑えてやや甘めに味付けした、と言えそうです
また巻末には映畫文庫の紹介と既刊リストが付されていました。


[JMDb]
雄呂血
[IMDb]
Orochi
[著者]
映畫劇同好会
[出版者]
湯川松次郎
[発行所]
湯川明文館
[フォーマット]
14.6 × 10.7 cm、124頁、映畫文庫 二
[出版年]
1926年