エニッド・ベネット Enid Bennett (1893 – 1969) 豪/米

サイン館・合衆国/カナダ/オーストラリア より

Enid Bennett c1920 Autographed Chromo


一千九百十六年の十月、米國に渡つて紐育市に興行中、恰度その時紐育に来て居たトライアングル會社のトーマス・エッチ・インス氏に認められて、映畫劇の俳優たる可く勸誘された。斯うして、嬢はインス氏と共にローサンゼルス市に行き、トライアングル會社のケービー映畫に出演する事となつたのである。その第一回作品は「闇の王女」といふ現代劇で、嬢はフェイ・ヘロンといふ役を勤めた。嘗てキネマ倶樂部に上場された「オパルの輝き」は第二回目の作品である。

一千九百十七年、インス氏が全所属俳優を率いてパラマウント映畫部の爲めにインス特作品を製作するやうになると、嬢も亦これに従つてパラマウント映畫部に轉じた。そしてインス映畫に出演した。

嬢は未だ若いだけに映畫女優として經驗に乏しいが、舞臺經驗を踏んで來た腕前は映畫の上にも充分に現はれて居る。極めて自然な藝風が、觀る者の心を魅する。

嬢は昨年の二月二十三日にフレッド・ニブロ氏と華燭の典を擧げて、今ではローサンゼルス市に樂しい家庭を作つて居る。

愛くるしい眼と、豊かな頬と、そして小兒氣の失せぬ口元と、それは「オパルの輝き」のヂュリーのやうな役には最も相應はしいものである。少し寂しい感じはあるが、それが却つて魅力を増す。嬢は目下ラスキー社パラマウント映畫に出演してゐる。

『活動名優写真帖』(野村久太郎編、 玄文社、大正8年)


生地ヨークより数里の町、オーストラリア・ヨーク市で嬢が仕事勤めをしていた折、一座と共に同地を回っていたフレッド・ニブロが端役募集の広告を出した。応募したベネット嬢がその役を手に入れる。演技の才と相まった美貌により忽ちに成功を収めた。『ホィップ』『フォーチュン・ハンター』『七つの鍵』を含む成功した舞台劇での大役を務めてきている。映画界からの要望に応えフェイマス・ラスキー社作品『義人の鍵』でスクリーンデビューを飾り、その後も同社の『曲馬団の名花』『家庭の罪』『家を出でて』でヒロインを演じた。身長は五尺三寸、體重十二貫三百匁。金褐色の髪と榛色の瞳を有する。

『銀幕名鑑』(ロス出版社、1920年)

While working in an office in Perth, Australia, a few miles from her birthplace, York, Fred Niblo, who was touring the country with his company, advertised for somebody to take a minor part. Miss Bennett applied and was accepted. Her beauty, combined with her dramatic talent, soon won auccess for her. She has played important part in “The Whip,” “The Fortune Hunter.” “Seven Keys to Baldpate” and other notable stage successes. Hearing the call of the screen, she made her first picture for Famous Players-Lasky Corporation, “Keys of Righteousness,” followed by “The Biggest Show on Earth,” “A Desert Wooing” and “Stepping Out.”

Miss Bennett is five feet three inches tall, weighs one hundred and two pounds, and has golden brown hair and hazel eyes.

Who’s Who on the Screen (New York: Ross Publishing Co., 1920.)


1922年『ロビン・フッド』より

1924年『シー・ホーク』(フランク・ロイド監督)

1910年代末から20年代前半に活躍したエニッド・ベネットのサイン物2点。無声時代のハリウッドで、オーストラリア出身俳優としては最も成功を収めた一人です。

フェアバンクスの相手役を務めた『ロビン・フッド』(1922年)、夫君フレッド・ニブロ監督による『紅百合』(1924年)の二作が知られているのですが、個人的には24年『シー・ホーク』でのこなれた演技が気に入っています。ロイド監督らしい歯切れのよい演出が光る佳作で、エニッド・ベネットも自身の役割を完璧に理解しつつ細やかなニュアンスを散りばめる余裕を見せています。

契約キャンセル申し立ての旨を伝える
1917年9月8日付『ムービング・ピクチャー・ワールド』誌記事

インスとの出会いとそこからのサクセス・ストーリーは美談として語られがちです。実際のところ1917年中盤にエニッド・ベネット側がインスを訴えた出来事もありました。インスの直接プロデュース以外の作品にも出演しなくてはならない契約内容に不満があり、最終的には元鞘に収まって一件落着。

日本でも早くから知られていて、『曲馬団の名花』『家庭の罪』など初期パラマウント社作品が公開されていました(いずれも1918年)。今回それ以前のトライアングル社期のフィルム(『淑女騎手』)を見つけたので併せて紹介しておきます。

[IMDb]
Enid Bennett

[Movie Walker]
エニッド・ベネット

[出身地]
オーストラリア(ヨーク)

[データ]
一枚目の写真は裏に手書きで「1917年4月」の日付入り


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