1961 – 『髪と女優』(伊奈もと著、日本週報社)

“Hairmaking and Actresses”
(“Kami to Joyu”, Ina Moto, Nihon Shūhōsha, 1961)

日本映画の黎明期から髪結い/ヘアデザイナーとして活躍された伊奈もとさんによる随筆集。古くから原節子愛好家界隈で知られており、彼女の残した名言「自分を卑しくすると、 あとでさびしくなるのでそういうことは一切しないようにしています」の典拠となっています(159頁)。

宮城県生まれ。旧姓亀田。尋常小学校卒業後に上京し、後に美髪学会を設立する高木きくに師事。1917年(大正6年)頃から姉弟子の増渕いよのと共に活動写真(主に日活向島新派劇の女形)の結髪に関わるようになり、松竹蒲田撮影所発足時から女優の髪結いを担当。1923年(大正12年)、酒井米子が松竹から日活に復帰したのに伴い籍を移す。戦後は東映大泉に移籍。

日活で監督として活躍した伊奈精一氏を夫とし、その間に生れた娘の圭子さんもまたフリーの髪結師として原節子や対馬恵子を担当していました。1959年(昭和34年)の映画の日に勤続41年の表彰を受け、この表彰をきっかけに自身の辿ってきた道筋や出会ってきた俳優の回想をまとめたのが本書でした。

分量が多いわけではないものの1910年代末から20年頃にかけての「女優以前」の活動写真にも触れられていて、先日の「日活俳優名鑑」でも名が上がっていた木藤茂氏の女形時代の写真が掲載されていたりします。また「日本初の女優は誰か」の問いにも私見が述べられています。

本サイトで『髪と女優』を最初に引用したのは「大正14年の日活俳優揃え」。同書にはもう一点「昭和9年の日活女優揃え」の写真も掲載されています。星玲子、久松美津江、近松里子など30年代中旬の多摩川撮影所女優がアタミホテル裏で撮影した水着姿の集合写真で、それぞれの女優についてのコメントが情報の宝庫となっています。おそらくは「昭和4年の日活女優揃え」にも絡んでいるのではないかな、と。

『唐人お吉』(1930年)撮影スチル

駆け落ち事件後に岡田嘉子から届けられた書簡など邦画女優史の一資料としてその重要性は疑うべくもないのですが、化粧や衣装と並び映画産業を支えてきた結髪技術の確立者だった点も強調しておきたいところです。1922年(大正11年)の平和博覧界の折に出展用人形の髪を頼まれて考案した髪型「耳かくし」が評判を呼び一般女性の間で流行した話は知られています。

また梅村蓉子主演の溝口作品『唐人お吉』(1930年)で女優の額の形と前髪のボリュームを整えるためつけひげにアイデアを得た「前はり」と呼ばれる技術を初めて導入。現在でも様々な目的で使用されている「前貼り」のルーツに当たります。

澤蘭子の有名なポートレート
この髷も伊奈さんの「作品」のようです

髪(型)は社会的記号として機能するだけではなく、流行として世相や時代の雰囲気を映し出し、また個々人が個性を表現していく手段でもある。そういった前提から現場視点で邦画史を読み解いている点で唯一無二の書籍。向学心の強さと人懐っこさの伝わってくる文章も素敵です。

[出版社]
日本週報社

[ページ数]
221

[フォーマット]
19.9 × 13.3 cm


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