1935 – エルンスト・ルビッチ & ヴィヴィアン・ゲイ(ルビッチ)

Menu, “Royal Grand Hotel”, Budapest. Signed by Ernst Lubitsch & Vivian “Lubitsch”, March 25, 1935.

【今日のメニュー】

牡蠣の王家風クリームスープ
若鶏のロースト&仔牛のカツレツ
副菜
ストロベリームース

1935年3月25日

ロイヤル・グランド・ホテル(ブダペスト)レストラン

Etrend

Krémleves királynő módon
Sült jérce és borju szelet
Körités
Eper habszelet

1935 március hó 25 én

Royal Nagy Szálloda

エルンスト・ルビッチとその妻ヴィヴィアンによる連名サインが残された1935年3月25日付昼食メニュー。

ヴィヴィアン・ゲイはルビッチ監督の再婚相手。元々イギリス出身で自身も演技の経験がありましたが、ハリウッドでは女優サリ・マリッツァのマネージャーとして名を上げていきます。

サリ・マリッツァを語る前にまず触れておきたいのがマネージャーである。ヴィヴィアン・ゲイは24才の金髪女性で、担当している女優とは年が二つしか変わらない[…]。エルンスト・ルビッチからランドルフ・スコットまでハリウッドの大物権力者を手玉に取るだけの魅力の持ち主である。

「サリ・マリッツァは如何にスター女優となったか」
(モーション・ピクチャー誌 1933年2月号)

The most remarkable thing about Sari Maritza is her manager. Vivyan Gaye […] is a personable young blonde of twenty-four, only two years older than her charge. […] Vivyan is attractive enough to do very well for herself with Hollywood’s high-powered sheiks, ranging all the way from Ernst Lubitsch to Randolph Scott.

How Sari Maritza Made a Star (Motion Picture, 1933 February Issue)

美人女優と美人マネージャーの二人三脚は話題となり雑誌に写真が載るようになります。また彼女は仲介エージェント業に関わっていて様々な企画を監督や映画会社、作家に持ちこみ、調整から得られる仲介料を得ていました。1933年頃にはジョイ&ポリマー社に雇われる形で、その後1934年6月にディック・ポリマーが独立して会社を立ち上げた際にも「提携」の形で名前が出ていました。

仕事柄業界の大物と直接コンタクトを取る機会も多く出会いには恵まれていました。1933年には人気俳優ランドルフ・スコットとヴィヴィアン・ゲイ、スコットの親友であるケーリー・グラントとヴァージニア・シェリルのダブルデートがスクープとして報じられます。同時挙式になるのではないかの憶測が広まり、実際にグラントとシェリルは1934年の2月に挙式。しかしヴィヴィアンの方は破談となってしまいました。

ケーリー・グラントの伝記にはこの辺の裏事情が説明されています。元々スコットはバイセクシャルで、当時ケーリー・グラントとの交際が進んでいました。しかし会社(パラマウント)側はこの状況を良しとせずアドルフ・ズーカーは関係を断つようスコットに圧力をかけます。スクープされた「ダブルデート」も実際はスコットが本命のグラントと一緒に動くための「カモフラージュ」だった訳です。

スコットとの「偽装」恋愛が行き詰まる中で本業のマネジメントにも陰りが見えていました。第二のディートリヒとして売り出したサリ・マリッツァは実力・人気が伴わず1934年10月の結婚と同時に女優業を引退。ヴィヴィアンも身の振り方を考える時期に来ていました。

絶妙なタイミングに絶妙な見た目で現れた絶妙な女性だった。[…] ヴィヴィアンは27才、ルビッチの好みである「すらりとした背の高い金髪女」そのままのタイプだった。

 『楽園の笑い声:エルンスト・ルビッチ伝』)

Vivian Gaye was the right woman with the right look at the right time. […] Vivian was twenty-seven and very much in line with Lubitsch’s taste in women: tall, slender, and blond.

Ernst Lubitsch: Laughter in Paradise (Scott Eyman, 1993)

1935年にエルンスト・ルビッチとヴィヴィアン・ゲイの結婚が発表されました。同年7月27日に挙式、役所での手続きを済ませた後にハネムーンに旅立っていきます。ハリウッドのメディアもノーマークで各誌では驚きの声が上がっていました。

レストランのメニューに残された連名サインは入籍の4カ月前に残されたものです。お忍びでハンガリーに向い、レストランで食事中に誰かに所望され、手近にあったメニュー裏にサインを残した流れになるのでしょう。興味深いのは入籍前にも関わらずヴィヴィアンが「ヴィヴィアン・ルビッチ」とサインしている所です。

この時点で結婚は決まっていて「今度彼女と再婚するんだよ」の紹介を踏まえた上でサインをしたと思われます。名字に下線を引くのは彼女の手癖で、1933年に仏監督マルセル・レルビエに宛てた書簡で「ヴイヴィアン・ゲイ」の「ゲイ」にも下線を確認できました。

ヴィヴィアンに対する後世の評価は割れています。ルビッチ伝の一つ『楽園の笑い声』には「やたらと知識をひけらかす成り上がり者(a tremendous snob, a climber)」の厳しい意見が含まれていました。また再婚後のルビッチは妻の管理下に置かれ旧友と距離ができたという証言があります。

サリ・マリッツァの売り出し方から分かるように、マーケティングで実体以上に見せるはったり上等の勝負師の側面はあったのかなと思います。また「成り上がり者」と訳したclimberは「玉の輿狙い(golddigger)」に近いニュアンスですし傍からそう見えたのも理解はできます。とはいえルビッチが理想的な夫、父だったかというと難しい所です。語学力とコミュニケーション能力に秀で、女優と並んで遜色ない美貌の持ち主だったヴィヴィアンにも彼女なりの言い分があるのでしょう。

1938年に娘のニコラさんが誕生。1944年3月には財産分与の上離婚。結婚生活は9年で終わりを告げました。それでもお忍びでデートを重ね、美味しい料理を前に仕事や将来の話であれやこれや盛りあがっていた瞬間もあったわけです。互いの思惑や打算、そして現実がどのようなものであれ二人の共有した時間の断片がこんな形で残されているのがとても興味深く思われます。

[参考文献]
Ernst Lubitsch: Laughter in Paradise (Scott Eyman, Simon & Schuster, 1993)
Cary Grant: A Biography (Marc Eliot, Harmony, 2004)
他1932~35年にかけての「ハリウッド・リポーター」「スクリーンランド」「フィルム・ダイアリー」等映画誌


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