サイン館・合衆国/カナダ/オーストラリア より
ノーマ・タルマッヂ孃は、一千八百九十七年、米國ニュー・ジャーセー州のニュウワークに生れたとも言ひ又紐育州のナイアガラ瀑布に近い同名の町に生れたとも云ふ。[…]
十四歳の時、好機會は遂ひに來た。孃は何等の舞臺經驗も無しに映畫に現はれる事となつた。臨時雇としてゞはあつたが、初めから可成勝れた藝を見せた。それで兩親も漸く納得するやうになつた。
嬢が正式に花形として立つに至つたのは、それから暫くの後で、ヴァイタグラフ會社に居る時であつた(「戰争?滅亡?」」)、その頃嬢はブルー・リボン映畫に現はれて人氣を博してゐた。同社を退くとトライアングル會社に移つてファイン・アーツ映畫に出演した。今年の春、三友館に上場された「疑問の釦」は同社の作品で、妹のコンスタンス孃と共演したものである。同社からセルツニック會社に移つて「パンテア」(電氣館上場)その他を作り、程經て今度はセレクト會社に移つて、其處に暫く勤めてゐた。而して、昨年、ファースト・ナショナル會社の新設と共に、同社に移つて、目下は其處に勤めてゐる。
『活動名優寫眞帳』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)
ノーマ・タルマッヂ孃はナイアガラ・フォールスで生まれブルックリンの小學校、エラスムス高校で教育を受けた。映畫に携わるやうになつたのは14歳の時であるがそれ以前舞臺の經驗はなく、まずはヴァイタグラフ會社作に出演、当初は同社の専属劇団の一員としてであつた。今やタルマッヂ孃は自身の製作會社を有しており、嬢の主演となる新たな特作はファースト・ナショナル會社を通じて配給されてゐる。現在感情表現に最も秀でた女優と目されており、輕喜劇でも複雑な性格設定の役でも等しく其の力量を發揮する。あらゆる映畫ジャンルに卓越した才を見せることから「万藝の女王」の綽名を広く轟かせてゐる。
『銀幕名鑑』(ロス出版社、1920年)
Norma Talmadge was born in Niagara Falls and educated in the Brooklyn elementary schools and Erasmus High School. She entered pictures at the age of fourteen, with no previous stage experience, going first for the Vitagraph Studio as a member of its old stock company. Miss Talmadge now has her own Company, with her new special feature attractions, released through Associated First National Pictures, Inc. She is considered one of the foremost emotional actresses of the day, and is equally capable in light comedy and character roles. Because of her ability to excel in every branch of screen art, she has been universally nick-named “The Queen of Versatility.”
“Who’s Who On The Screen” (1920)
タルマッジ姉妹の長女ノーマの直筆サイン入り絵葉書。元々長女のノーマがヴァイタグラフ~トライアングル社の花形となり、その人気にあやかって妹コンスタンスとナタリーも女優デビュー、1919~20年にかけてはリリアン&ドロシ-のギッシュ姉妹以上の知名度と人気を博していました。
1920年代の出演作では『復讐の灰』(Ashes of Vengeance、1923年)や『お転婆キキー』(Kiki, 1926年)等が現存しています。一般的にはこの時期の長編作品が代表作とされるのですが正直1910年代短編の方が圧倒的に面白いです。
[IMDb]
Norma Talmadge
[Movie Walker]
ノーマ・タルマッジ