先年、伊藤大輔監督が雅弘氏に謹呈した自著を譲り受ける機会がありました。「等持院に先生のお墓があります。是非寄ってあげて下さい」と教えてもらい、今回は必ず寄ろうと決めていました。
吟松寺を離れてそのまま紙屋川沿いに南下。金閣寺の脇を抜けてきぬかけの路に入っていきます。立命大の敷地に隣接した観光道路で、普段は通学する学生や走りこみの部活生が見られますがさすがにこの日はほぼ無人でした。
衣笠キャンパスのすぐ南、住宅街に囲まれるように等持院が位置しています。墓地の南西に牧野家のお墓がありました。



The Makino Family Tomb at the Toji-in/Kyoto
省三氏の墓を中心に右に卒塔婆、左に雅弘氏のお墓。
荘厳院浄空映画雄飛居士、直心院禪機映光雅人居士。雅弘氏の方は青文字、省三氏はおそらく金色で戒名が刻まれていました。智子(輝子)さんは東京・高徳寺の加藤家のお墓に入られたそうです。
風情の或る住宅街を抜け、等持院から歩いて15分ほど。蓮華寺の五智如来が出迎えてくれました。境内墓地の南側に伊藤監督のお墓があります。誰かがお参りを済ませた後で仏花と鏡餅がお供えしてありました。雲の合間から射しこんだ日差しが熱眼熱手の碑を照らし出していました。
今回移動したルートは上のようになっています。四条大宮からバスで鷹峯源光庵前(A)に向かい、そこから吟松寺(B)、等持院(C)を経て蓮華寺(D)へ。距離にして5キロ程の旅となりました。