1928 -「明暗二女優物語」 (水口菊夫、『劇と映画』 昭和3年12月号収録)

風説と流言、妄言の戦前邦画史

Bright or Dark : A Hidden Story of Two Actresses by Mizuguchi Kikuo
in Movie and Play Magazine 1928 December Issue

これは蒲田撮影所が未だ、蒲田村の眞中に建てられてから間もない頃のお話です。主要な役割を演ずる女優さんやそのお相手に廻った方の名は、便宜上假名とさせて戴きます。

山田と言ふのは、當時、映畫劇製作に就いては、映畫家に比肩するものもない大家でした。それは他の人には一寸見出せないキヤリアーがありましたゝめ、撮影所内部では可なりの権勢がありました。

この人が制作した映畫は、珍しいのと、米國風に綺麗な点で、當時、餘り映畫劇が好まれなかった日本映畫界で相當立派な成績を擧げてゐたのでした。

處がこの人は至って好色でした。[…] この人の超自由な戀愛生活は全く撮影所内外共に噂の中心となる位でした。

特にこの頃蒲田撮影所の人気女優と言へば、千島みつ子、環千歌子、吉田笑子、二村千枝子の四人でした。[…]

處がこの四大幹部女優の中吉田笑子は、當時某と云ふ偉い人が後ろについてゐるので遉にこれへは山田さんも手が出せなかつたのです。

それからもう一人二村千枝子さんは、芸の巧い割合に、地味でしたし、戀の對照とするには、まあ他の人よりは、多少外見上、遜色がありましたのでこれへも、山田さんは欲情の瞳を向けなかったのです。[…]

で先ず、みつ子を手中に入れる豫備政策として、みつ子を山田氏監督作品のスターに選びました。

その映畫は『勿忘草』と言ひます。當時の大作品で、記録的な大衆撮影までやつて、映畫界のセンセーシヨンを起こしました。でみつ子は、素晴らしい勢で賣出しました。

その次に『カバン』と言ふ喜劇を作りました。主役は筈見要太郎とみつ子と、一寸した役で環千歌子が出てゐました。これは山田さんに取つて遺憾千萬にも「上映不許可」となつたのです。

で第三回目に制つたのが『勞働者とその妻』と云ふ社會風刺映畫です。これもまたみつ子が主演しました。

この当時でせう。屹度山田さんがみつ子に或る要求をしたのは…。でも道心堅固だつたとでも言ふのでせうか、みつ子は山田さんに良い返事をしなかつたらしいのです。そうして、撮影所の送り迎へには、必ず母親がナフタリンとなつてついて來ました。[…]

それ以来みつ子は山田さんの映畫には一切役を振られませんでした。その代わりとして環千歌子が、引續いて出演しました。

『赤陽の山道』と言ふ映畫を遠い地方へロケシヨンして歸つて來てから、千歌子は或る病気のため一年近く映畫界を退きました。このお話はこれでお終ひですが、このお話から観ると、この兩女優には、明暗兩相を意味する何かにあらうと思ひます。

◇◇◇

これは蒲田撮影所が未だ、蒲田村の眞中に建てられてから間もない頃のお話です。主要な役割を演ずる女優さんやそのお相手に廻った方の名は、実名とさせて戴きます。

[ヘンリー]小谷と言ふのは、當時、映畫劇製作に就いては、映畫家に比肩するものもない大家でした。それは他の人には一寸見出せないキヤリアーがありましたゝめ、撮影所内部では可なりの権勢がありました。

この人が制作した映畫は、珍しいのと、米國風に綺麗な点で、當時、餘り映畫劇が好まれなかった日本映畫界で相當立派な成績を擧げてゐたのでした。

處がこの人は至って好色でした。[…] この人の超自由な戀愛生活は全く撮影所内外共に噂の中心となる位でした。

特にこの頃蒲田撮影所の人気女優と言へば、栗島すみ子英百合子五月信子川田芳子の四人でした。[…]

處がこの四大幹部女優の中五月信子は、當時某と云ふ偉い人が後ろについてゐるので遉にこれへは小谷さんも手が出せなかつたのです。

それからもう一人川田芳子さんは、芸の巧い割合に、地味でしたし、戀の對照とするには、まあ他の人よりは、多少外見上、遜色がありましたのでこれへも、小谷さんは欲情の瞳を向けなかったのです。[…]

で先ず、[栗島]すみ子を手中に入れる豫備政策として、すみ子小谷氏監督作品のスターに選びました。

その映畫は『虞美人草』(1921年4月)と言ひます。當時の大作品で、記録的な大衆撮影までやつて、映畫界のセンセーシヨンを起こしました。ですみ子は、素晴らしい勢で賣出しました。

その次に『トランク』(1921年製作、上映禁止)と言ふ喜劇を作りました。主役は勝見庸太郎すみ子と、一寸した役で英百合子が出てゐました。これは小谷さんに取つて遺憾千萬にも「上映不許可」となつたのです。

で第三回目に制つたのが『電工と其妻』(1921年製作、上映禁止)と云ふ社會風刺映畫です。これもまたすみ子が主演しました。

この当時でせう。屹度小谷さんがすみ子に或る要求をしたのは…。でも道心堅固だつたとでも言ふのでせうか、すみ子小谷さんに良い返事をしなかつたらしいのです。そうして、撮影所の送り迎へには、必ず母親がナフタリンとなつてついて來ました。[…]

それ以来すみ子小谷さんの映畫には一切役を振られませんでした。その代わりとして英百合子が、引續いて出演しました。

『闇の路』と言ふ映畫を遠い地方へロケシヨンして歸つて來てから、百合子は或る病気のため一年近く映畫界を退きました。このお話はこれでお終ひですが、このお話から観ると、この兩女優には、明暗兩相を意味する何かにあらうと思ひます。

1928年末の「劇と映画」誌に掲載された1頁の読み物で、邦画界初期のとある出来事を実名を伏せて暴露したもの。読む人が読めば誰の話かすぐ分かる書き方になっています。

栗島すみ子さんは『虞美人草』で小谷作品に初出演、その後『トランク』と『電工と其妻』で主演を務めるも後者を最後に同監督作品から離れています。英百合子さんは『トランク』での助演後、『電工と其妻』の次作となる『夕陽の村』で栗島すみ子と入れ替わるように小谷作品初主演、続く『闇の路』でもヒロインを務めています。確かに出演記録データとの整合性は取れています。

また英百合子さんは『闇の路』公開から程なく半年ほど映画出演を控えています(同時期にヘンリー小谷氏は松竹を退社)。「或る病気」の表現は、表沙汰にできない出来事が進行していたと匂わせる含みのある言い回しです。


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