帝政ロシア/ソヴィエト初期映画史再訪 [11]
所謂少數民族も自身の映畫單位を有つてゐた。その中で最も優れてゐたのは、恐らく、一九二一年に組織されたウクライナ・キネマ(ヴフク)であらう。「タラス・シエフチエンコ」と「二日間」を製作したのはこの單位である。
『ソヴエートロシアの芸術』
ジヨセフ・フリーマン 等著[他](1937年、白揚社)
これまでのソヴエト映畫には畫面の繪畫的構成に對し、たいした注意が拂われていなかつた。きたならしい畫面を平氣で撮影してプロレタリア映畫藝術家をもつて自任しているような監督さえもあつた。ソヴエト映畫はドブジエンコにおいて、はじめて美しさを與えられたということができる。「アルセナール」の中の遺骸を乗せて走る軍馬の場面、「大地」の畫面の靜物的美しさ、トーキー「イヴァン」におけるドネーブルの風景は、繪畫藝術作品としてもまさに最高のものといわれている。
『ソヴエト映画』
馬上義太郎(1947年、 京王書房)
ロシア語で「大地・1930年(Земля・1930г.)」の文字が刻まれたピンバッジ。アレクサンドル・ドヴジェンコ監督による1930年の同名作をモチーフにしています。裏面に価格を表す10コペイカ「10коп(ейка)」とメーカーのロゴと思われる刻印がありました。
眞の意味のサヴェート映畫はアメリカのトーキイと前後して生れたのである。エイゼンシュタインの「ストライキ」は一九二四年、「戰闘艦ポテムキン」は一九二五年、プドフキンの「母」は一九二六年の製作であつて、これより以前にサヴェート映畫の代表的なものは一つもな [い]。
『サヴェート映畫の輪廓』
根岸耕一(1931年、文藝春秋社出版部)
『大地』は全ウクライナ寫眞映畫部(通称「ヴフク/VUFKU」)製作による作品です。
ペレスチアーニ監督らを擁したグルジア国営活動会社と並び、全ウクライナ寫眞映畫部はモスクワでの映画製作が本格化する前の1921~23年頃から既に優れた作品を作り始めていました。『アエリータ』の公開、そしてエイゼンシュテインの本格始動である1924~25年辺りをソ連映画の「元年」とする映画史観が必ずしも真ではないだろう、と。共産党視点を一旦外してみると小さな国々(ジョージア、ウクライナ、アルメニア、アゼルバイジャン、チュヴァシ…)がソヴィエト連邦の初期映画史を豊かにしていた風景が見えるようになってきます。