1912 – 『国なき人』(独ビオスコップ社、ウアバン・ガーズ監督)

Das Mädchen ohne Vaterland (1913, Deutsche Bioscop GmbH, dir/Urban Gad) 1958 Japanese Postcard

『國なき人』此の畫程私の心に深く刻まれたものはありません。ビオスコップの藝術的な映畫とは實に此の樣なジプシーの乙女の戀を描いた中に深刻な心氣が漂ふてゐるからです、『國なき人』の —舞つたあの姿はそゞろ私の頭に浮んで來ます。

キネマ・レコード誌 1915年3月10日第21号

とあるバルカン諸国、国境近い山腹を守る一つの基地があった。この基地に所属しているイパノフ中尉はある日、流浪の民の輪で踊る女性ジドラ(アスタ・ニールセン)を見て恋に落ちる。満更でもないジドラだったが、そこに敵国の諜報員が近づいてくる。

基地内部の図面を手に入れたら大金が手に入る…諜報員の言葉に踊らされ、ジドラはイパノフの好意を利用して基地に潜りこみ、図面の奪取に成功する。何が起こったのか察したイパノフ、ジドラに「祖国」の意味を教えると女は理解したようであった。最後の恩情としてイパノフはジドラを逃がし、自らは死を覚悟し軍事会議へと向かうのであった…

墺キネマトグラフィッシェ・ルントシャウ誌
1912年11月10日付第224号掲載の広告

独キネマトグラフ誌
1912年12月11日付第311号の広告

1912年に公開されたドイツ映画『国なき人』。1910年の『深淵』で国際的な知名度を得たアスタ・ニールセンの初期作の一つ。『深淵』の艶めかしい踊りが評判を呼んだこともあって『国なき人』でも作品の冒頭と途中にダンスの場面が含まれています。キネマ・レコード誌の「舞つたあの姿はそゞろ私の頭に浮んで來ます」から、当時の日本でもインパクトを持って受け止められていた様子が伝わってきます。

『国なき人』は比較的早くにデジタル化されていて現在でもユーロピアン・ゲートウェイでオンライン閲覧可能。このバージョンは不完全で冒頭と結末それぞれに欠落があります。それでも内容を理解するには十分で、人情の機微を大事にしつつスパイ物としての緊張感をうまく取りこんだ構成および編集にガーズ監督の進歩を見ることができます。

[原題]
Das Mädchen ohne Vaterland

[公開]
1912年11月22日

[IMDb]
Das Mädchen ohne Vaterland

[Movie Walker]


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