「伴野商店」より



Nagisa (“Science On The Shore”, c1932, Tokio Cinema Co.) c1932 Banno Co. 9.5mm Print
夏休みの日記を書いている小学生の女の子。今日連れていってもらった磯で、姉に沢山の生き物について教えてもらった。水に咲いている花は「いそぎんちゃく」という名前だった。とげとげのある黒いのは「うに」、ふじつぼにかめのて、じんがさ、くらげ…日記を読んだ姉が「たいそう良くできました」と誉めてくれる。明日は山に連れていってくれるそうだ。























1930年代初頭、伴野商店が「倍缶」と呼ばれる40~50メートル規格のフィルムを発売し始めました。ダブルの頭文字をとり「D」の型番が振られたもので、第一弾(D-1)に発売されたのが教育短編映画『渚』でした。
1910年代半ばから実写(ドキュメンタリー)分野で定評のあった東京シネマ商会の製作。撮影担当は日活・松之助作品で活躍した川谷庄平氏(川谷拓三氏の父親)で、編集には東亞キネマで監督経験もある山根幹人氏の名がクレジットされています。
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東京シネマ商会(※戦後1954年に設立された株式会社東京シネマ/現・東京シネマ新社とは別会社)は1914年(大正3年)に設立された映画会社。会主は芹川政一氏。設立当初より時事実写と連鎖劇撮影を得意としていました。教育用フィルムを多く含んだ伴野9.5ミリ作品とも縁が深く『動物の国』『大東京』などが東京シネマ商会によるものでした。
1910年代中盤にはキネマ・レコード誌に広告を出していて、映画会社の近況欄に時々名前が出てきます。連鎖劇を多く撮影、「目下常盤座、金龍館等にて映寫されつゝある」の興味深い情報も含まれていました。折角ですのでキネマ・レコード誌の広告などをまとめておきます。






JMDbに『渚』は未登録。文化庁の日本映画情報システムが東京シネマ商会関連に詳しく1914年から38年にかけて製作された127作が登録されていました。『渚』は製作年未詳とされていますが、伴野のD番が運用され始めた1931年後半から32年始め頃に制作された一作です。