
デジタル彩色の元データとして使用した白黒画像
AI(人工知能)で白黒写真をカラー化する技術はこの数年で大きく進歩していて、何らかの形で実例をご覧になったことがある方は多いと思われます。オンラインのサービスを提供しているところもあったので一枚のデジタル画像をカラー化し、複数サイトの結果を確認してみました。
いずれ劣らず綺麗な仕上がりです。
元画像は1914年の仏映画『赤い館の騎士』より。囚われの身となったマリー・アントワネットを救おうとする王党派と革命勢力の攻防を描いた一作で、アレクサンドル・デュマ父の同名小説を原作としています。
原作の第21章とその前後、対応する場面の流れを追ってみることにします。
ある日、青年モオリスが女性と歩いていると、道端で花売りに呼び止められます。売り物のカーネーションがあまりに見事だったので青年は花束を買って一緒にいた女性(ジュヌヴィエーヴ)に贈ってあげました。折しもパリの某所では囚われの身となった元女王マリー・アントワネットが移送される最中でした。その場に居合わせたモオリスたち。通りすがりのアントワネットが女性の花束に目を留めます。

ジュヌヴィエーヴ(中央)から カーネーションを受けとるマリー・アントワネット(右)
「駄目でせうか」
「いやいや」とモオリス。「ジュヌヴィエーヴさん、お花を渡しても大丈夫ですよ」
「ありがとう、ありがとう!」
女王の言葉には強い感謝がこめられていた。
ジュヌヴィエーヴに向け優雅に一礼、マリー・アントワネットはやせ衰えた指先で適当なカーネーションを一本引き抜いた。
「全てお持ちになられても良いのですよ、全部どうぞ」、遠慮がちにジュヌヴィエーヴ。
「そうはいきません」、女王は素敵な微笑を浮かべた。
「貴女にとって大切な方からの頂き物かもしれないでしょう。取り上げてしまうにはいきませんよ」
『赤い館の騎士』アレクサンドル・デュマ父(私訳)
– Est-ce défendu, monsieur? dit-elle.
– Non, non, madame, dit-Maurice. Geneviève, vous pouvez offrir votre bouquet.
– Oh! merci, merci, monsieur! s’écria la reine avec une vive reconnaissance.
Et saluant avec une gracieuse affabilité Geneviève, Marie-Antoinette avança une main amaigrie, et cueillit au hasard un oeillet dans la masse des fleurs.
– Mais prenez tout, madame, prenez, dit timidement Geneviève.
– Non, dit la reine avec un sourire charmant; ce bouquet vient peut-être d’une personne que vous aimez, et je ne veux point vous en priver.
L’OEuillet rouge
Le Chevalier de Maison-Rouge, Alexandre Dumas père, Tome 3, p.39-41,
Alexandre Cadet éditeur, Paris, 1846
一見すると偶然の出来事ながら一連のやりとりは全て仕組まれたものでした。花には仕掛けがあり密書が隠されていたのです。ところが手紙は革命勢力によって見つかってしまいます。当初はモオリスが疑われるものの、花売りの少女が逮捕され嫌疑が晴れることになります。実はジュヌヴィエーヴも隠れ王党派で計画に参加していたのですが、花売り娘の機転と自己犠牲で危地を逃れるのでした。
映画版では第4部が「カーネーションの陰謀」となっていて、冒頭で密書を花に仕込んでいる王党派たちが登場。折り畳んだ手紙を花に隠す作業を手伝っている一人がジュヌヴィエーヴでした。カラー化に使用した画像はこの場面です。
原作小説の第21章は「赤いカーネーション(L’oeuillet rouge)」と題されていました。第22章ではマリー・アントワネットの手にしていた花が没収されてしまうのですが、その個所には「女王がまだ手にしていた真紅のカーネーション(l’oeuillet rouge qu’elle tenait encore à la main)」の表現が見られます。そもそもの設定では花は赤だったのです。
ところがAIによるデジタルカラー画像を見るとそうはなっていません。カーネーションの赤は何処に消えたのでしょうか?
◇◇◇
色彩のある風景をアマチュア写真家が通常の手順で撮影しても正しい明度で再現されなくなってしまう。白いバラの咲き誇った茂みはそのままの写真になるのだが、その隣にある赤いバラの茂みは花が全く咲いていないように見える。感光板上明るい赤の光は濃い緑の葉と同程度にしか反応しないからである。夏至の木(ミッドサマー・ツリー)に飾られた緑の林檎と同様、茂みのバラは輪郭で見分けられるかどうかも怪しい。
『活動写真術大全』(1911年)
Thus, a scene having colors will not be reproduced in its proper light and shadow values by the ordinary processes of amateur photography. A rosebush in bloom with white roses will give proper results, but an adjacent bush in bloom with red roses will appear in the photograph to have no blossoms at all, since the bright red of the blossoms is no more effective upon the sensitive plate than the dull green of the rose leaves, and the roses may be distinguished upon the bush only by their shape, as green apples upon a midsummer tree.
Orthochromatic Photography
Cyclopedia of Motion-Picture Work (American school of correspondence, 1911)
1911年に出版された映画撮影の教則本に「赤いバラの茂みは花が全く咲いていないように見える」例が紹介されていました。オルソクロマチック(オルソ)と呼ばれるフィルムについて説明した章段です。このフィルムは光の三原色のうち青と緑に感光し赤への感度は持たない、という特殊な性質を持っています。
写真用乾板についての資料からで左がオルソ(Seed Aero Ortho 5)、右がパンクロ(Eastmann Experimental Panchro)の色別感度を示したものです。オルソでは赤の部分に数字が全く出ていないのが分かります。感度を持たない、は光として認識されてないと同義になります。オルソ・フィルムで撮影された時、フィルム上で黒として表現されてしまうわけです。
無声映画時代に俳優たちが顔を白塗りにしていた理由がまさにこれでした。人の肌はたとえ「白人」であろうと若干の赤みを帯びているためオルソ・フィルムで撮ると不自然に黒ずんでしまいます。今ならカメラの設定や画像加工ソフトで調整可能ですが当時はそういった技術がなかったため被写体そのものに手を加えていた訳です。
オルソ・フィルム上で黒く再現されている色は確かに「黒」だったかもしれないし、実は「赤」だったかもしれない。何か特別なヒントや二次資料がない限りどちらだったか特定するのは難しいことになります。
元画像を見ると花は黒く表現されていて、花びらの形が判別できないほど潰れています。この花が黒だったのか赤だったのか画像データからだけでは特定できません。ところが今回は、1)1910年代に制作された映画でオルソマチック・フィルムを使用、2)原作の対応部分で色が「赤」と指定されている。二つの重要な事実が残されている訳です。
白黒画像の先で咲き誇る、百年前の花々は鮮やかな紅だった。
AIによる彩色を否定したい訳ではないのです。人力であれば途方もない労力を要するアウトプットを短時間で返してくる。古い写真に隠されていた潜在的な美しさを蘇らせ、人々の目を留めて感動させることができる。それはそれで一つの優れた解だといえます。でもその綺麗さは写真の「真」に届いておらず、現象の上っ面をなぞっている感が強く残ります。
古い白黒フィルムの先に失われてしまった色や音、香り、社会のリアリティや人々の思いをいかにして復元していくのか。『赤い館の騎士』の例はひとつの興味深い思考実験を提供してくれるものです。