1917 – 9.5mm 『悲しみの聖母』(アベル・ガンス) 1926年仏パテ社版プリント

『アベル・ガンス [Abel Gance]より

1917 – Mater Dolorosa (Le Film d’Art/Films de France, dir/Abel Gance) 1920s French Pathé 9.5mm Print

ベルリアク夫人となった彼女は地味な舞台裏へと追いやられた気がして当初は驚き、心底傷ついた。今となって夫の心の中に自分の居場所がほとんどないことに腹を立てていた。夫は昼も夜も医院のことにかかりきりで、それだけが人生の唯一の目的になっているようにも見えた。

Mme Berliac, d’abord surprise puis blessée de se voir reléguée au second plan par son mari, s’insurgeait à présent du peu de place qu’elle occupait dans ses pensées, concentrées nuit et jour sur cette clinique qui semblait n’être que l’unique but de sa vie.

「いや、それは無理だよ。僕はこの形の恋愛は望んではいない。何がどうあってもこの土地から離れる積りだ。遠くへ、出来るかぎり遠くへ」
 敗北感に打ちひしがれた女は机まで後ずさりしていった。クロードが置いたままにしてあった拳銃を不意に握りしめた。絹の服の肩口を引きちぎると銃口の先端を自らのはだけた胸元に突きつけた。

– Non, Marthe, c’est impossible ! je ne veux pas de cet amour. Il faut à tout prix je m’en aille… loin… très loin.
Désepérée de sa défaite, elle avait reculé jusqu’au guéridon. S’emparant brusquement du revolver qu’y avait déposé Claude, elle déchira la soie de son corsage et braquant le canon sur sa poitrine nue:

「ビジネスはビジネスですよ、奥さん。出版社と契約してすでに六千フランを受け取ってしまっているんです。この話が無しとなるなら全額返金しなくちゃいけなくなる」
「その金額は私が立て替えさせていただきます」
「交渉成立、ですかな」

– Les affaires sont les affaires, madame. J’ai déjà traité avec mon éditeur pour six mille francs. Il faudrait me les rembourser.
– Je vous l’achète à ce prix-là.
– Marché conclu, madame.

疑いようもない、息子ピエールの容体は急速に悪化していた。夫の言葉のひとつひとつが女の引き裂かれた心にナイフのように突き刺さっていく。女は絶望から夫の足元に身を投げ出した。その顔には動揺があり、髪は大きく乱れていた。
「じゃあ…あの子は本当に病気なのね」、そう聞くのが精いっぱいだった。

『悲しみの聖母』
フィルム・コンプレ誌 1926年9月5日付第274号 (私訳)

 Plus de doute, l’état de Pierre venait de s’aggraver subitement. Chaque parole de Gilles avait enfoncé un poignard dans le coeur déchiré de Marthe. Elle se jeta éperdue aux pieds de son mari, le visage bouleversé, les cheveux épars:
– Il est donc bien malade? demanda-t-elle.

Mater Dorolosa, adapté par Paul Lores
Le Film Complet du Dimanche, N 274, 5 Septembre 1926
(Éditions de Mon Ciné, Paris)


仕事に没頭し家族を顧みない初老の小児科医(フィルマン・ジェミエ)、家で不満を募らせていく美貌の妻(エミー・リン)、女の相談に乗るうちに恋心が芽生えていく友人の若手作家(アルマン・タイエ)。不慮の事故で作家が亡くなった後、一旦は忘れられていた秘密が3年後に蘇る。脅迫を受けた妻の怪しげな動きを訝しんだ夫は不信感を募らせていく。夫婦の愛息を巻きこみ、新たな愛憎ドラマが生み出されていく…

1927年公開の『ナポレオン』で無声映画史に金字塔を打ち立てたガンス監督がその十年前に発表した初期作の9.5ミリ版。三角関係に端を発したメロドラマながら、脚本や演出・撮影に創意がこめられており同時期に量産されていた他作品とは一線を画しています。

フィルマン・ジェミエ(Firmin Gémier)

妻を疑い苦悩する医師を演じたのはフィルマン・ジェミエ。当サイトでは以前にジゴマ役俳優、アルキリエールの直筆書簡紹介で名を挙げています。ドライヤー版のジャンヌ・ダルクを演じるファルコネッティとも接点を持つなど当時の仏舞台界のキーパーソンの一人でした。

エミー・リン(Emmy Lynn)

ヒロインを演じたのはエミー・リン。本作と『第十交響曲』に出演、ガンス監督が1910年代に飛躍していく原動力となった女優さんです。戦後に残されたインタビューでは(フランチェスカ・ベルティーニとピナ・メニケリを引きあいに出しつつ)『悲しみの聖母』撮影時にイタリアのディーヴァ映画に影響を受けていた話をしていました。顎をピンと上げた姿勢などにそういった影響は見て取れます。

とは言え、本作の真の主役は多彩なアイデアをまとめ上げたガンス監督になるのだろうと思います。

同監督キャリアのピークを1923年(『鉄路の白薔薇』公開)から1927年(『ナポレオン』公開)と見た時、パテ社による9.5ミリ小型映画のブーム(1922年末市販開始)と重なっています。パテベビーのフィルムカタログでガンス作品は重要な位置を占めており、

『生きる権利』型番649 (10m×24巻)
『第十交響曲』型番710 (10m×10巻)
『悲しみの聖母』 型番882 (20m×4巻)
『戦争と平和』 型番2018~2020(20m×14巻)
『鉄路の白薔薇』 型番2022~2025(20m×18巻)
『ナポレオン』 型番2053~2055、2059~2060、2066~2067、2069、2071、2073(20m×47巻)

以上6作品が1920年代に9.5ミリ化されています。今回入手した9.5ミリ版は元々20m×4巻構成だったものを120mリールにマウントし直してあります。ノッチ無しの映写に対応できるよう自作の字幕を追加してあってトータルの上映時間は16分半。

『悲しみの聖母』はガンス監督の転換点となった重要作でもあります。どうしても手元に置いておきたいとフィルムを探しはじめてかれこれ数年、晴れてコレクションの仲間入りです。

[Movie Walker]


[IMDb]
Mater dolorosa