1926 – 『お夏清十郎』(重宗務監督、松竹蒲田)

映画史・日本 より

“Onatsu Seijuro” (1926, Shochiku Kamata, dir/Shigemune Tsutomu)

時は寛文(1661年)。播磨姫路の米問屋、但馬屋では一人娘の結婚が決まりにぎやかな雰囲気が漂つていた。

そんな中、一人浮かぬ顔をしているのが当のお夏(柳さく子)であつた。使用人の清十郎(中濱一三)と秘かに恋仲になっていて、いつか夫婦になれぬかと心を悩ませていたのである。しかし二人の秘めた恋は勘十郎(伊東淳亮)の讒言によりお夏の父、九左衛門(藤野秀夫)に知られる所となつた。しかも勘十郎は仕事上の着服まで罪を清十郎に着せたのであつた。「おのれ、ここまでしてやつた恩を忘れたか」、但馬屋を追い出された清十郎。裏切られたと知つた彼は怨みを晴らそうとするが、誤って別人に手をかけてしまふのであつた…

1925年中盤、柳さく子は半年ほど女優業を休業しています。様々な憶測を呼ぶ中で古巣の蒲田へ復帰。ただしその傍にそれまで彼女を庇護していた野村芳亭氏の姿はありませんでした。10月からは新人監督・重宗務が柳主演作を担当、同監督は芳亭氏の弟子筋に当たり交代後も芳亭=柳路線を継承する形で江戸文学の影響が色濃い諸作(「お初吉之助」「八百屋お七」)を発表していきます。

1926年10月に公開された『お夏清十郎』もこの系列に位置付けられる作品です。

「儘ならぬ浮世の義理に虐げられて相愛の二人は引き離されねばなりませんでした。あはれお夏が情怨は炎と燃えて心もそゞろ狂ほしくなつて行きます。悲しい戀の姿、いたましい愛慾の形を描き尽くして餘すところもありません。秋漸く更けて行く一夜をどうぞ涙多い皆樣、靜に此の一篇を御覧下さい」

近松作品の映画化はハードルが高く、『お夏清十郎』にしても蚊帳で同衾している恋人同士が引き離される場面、清十郎が煙管を自ら喉に突き立てて自害する場面などリスキーな描写が含まれています。原作に匹敵する世界観を展開しようとするとそれこそ全盛期の溝口監督並の力量は必要で、1920年代の松竹にそこまで期待するのは酷かな、と。

野村芳亭は、新派出身の大物であつたが、彼の作品も亦、池田[義信]と同じやうなことが云へる。野村にとつては、すべてが、新派悲劇であるか、新派喜劇であり、新派活劇であつたのである。私は、彼が伊藤大輔の脚本によって新時代劇への道を拓いた『女と海賊』や、その後に作られた『女殺油地獄』(大正十三・諸口十九・柳咲子)の舊劇をその本領として認めたいのである。

『映畫五十年史』筈見恒夫(鱒書房、1947年)

それでも邦画史を翻っていったとき多くの浄瑠璃名作(『女殺油地獄』『城木屋お駒(恋娘昔八丈)』『お夏清十郎(五十年忌歌念仏)』)が芳亭~重宗監督によって初めて映画化されているんですよね。『妖婦五人女』で触れたように城戸氏を中心にした松竹史観で見ると芳亭氏は悪役になってしまいます。それはそれとして撮影所長・監督の実績を批評的に再評価していく筈見氏のようなアプローチがあっても良い気がします。

ちなみに字幕担当に夢二の名がクレジットされています。

[JMDb]
お夏清十郎

[IMDb]
Onatsu Seijûro

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