映画史・日本 より
長野県、木曾に近いとある村。その日は村長の息子・松之助の祝言で皆が忙しそうにしていた。そんな中で複雑な表情を浮かべていたのが老大尉の森田であつた。というのも一年前に自身の娘・露子が松之助にたぶらかされて妊娠。地元の噂を恐れた森田は生れたばかりの赤子を取り上げ、娘を奉公に遣わせたからであつた。
折しも父親の体調不良を聞いた露子が見舞いがてら帰郷。娘に結婚式の話を悟られないよう必死に話題を変えようとする。父親の努力も空しく、子までなした男がのうのうと結婚すると知った露子は正気を失い意を決して村長宅に向かっていく…
森田: 大火事だよ。半鐘が聞えるだらう。ホレ、まだ聞える。
露子: 左様ですか。
森田: 村長の邸が燒けたんだよ。
露子: さうですか。
森田: 露子、お前本当に知らないのか。
露子: エゝ、知りません。
(ぢつと父の顔を見る。愼藏もぢつと見る)
森田: 可哀想に、今日來た花嫁は燒け死んださうだ。
『大尉の娘』中内蝶二
1924年に公開された松竹作品『大尉の娘』の写真をあしらった絵葉書一葉。浅草帝國館の封切り時に制作された絵葉書に朱文字で「小樽錦座 三十一日公開 説明關楓葉」の文字が追加されています。また左端には同じ朱色で絵葉書を持参すると優待される旨が記されていました。
この作品は中内蝶二の同名戯曲の映像化となるものです。同名作品は1917年にも一度小林商会で映画化されていて、その時は井上正夫(老大尉)、木下吉之助(その娘喜代野)、藤野秀夫(松之助)が配されていました。24年松竹版では藤野秀夫が老大尉役に廻り、娘役を柳さく子が務めています。
中内蝶二氏による戯曲は1913年に日本で公開された独ビオスコップ作品『憲兵モエビウス』[1]を下敷きにしていました。『プラーグの大学生』と同じデンマーク出身監督シュテラン・ライ[2]の手によるもので、『天馬』等と並び日本でのドイツ映画ブームに影響を与えた一作です[3]。流行としては短命であった1910年代ドイツ映画が新派劇の翻案を経て再度、邦画史にアクセスし影響を与えていく。興味深い動きだと思います。
[1] 『憲兵モエビウス』は近年フィルムが発見され、2021年のボローニャ復元映画祭でリストア版が上映されています。
[2] シュテラン・ライの映画キャリアに関してはアムステルダム大学出版局が公刊した論文集『A Second Life: German Cinema’s First Decades』に詳しい論考(”The Faces of Stellan Rye”, Casper Tybjerg)が含まれています。
[3] 日本での『憲兵モエビウス』の受容については山本知佳氏の論文「日本におけるドイツ映画の公開」(日本大学文理学部人文科学研究所第97号、2019年研究紀要)で一章を割いて分析されています。
[JMDb]
大尉の娘
[IMDb]
Taii no musume