映画史・日本 より
浪次は唯目を睜(みは)るのみ。事の意外に物も云へなかつた。
「浪次さん。妾からこそお願ひします。三重子といふ者は憎いでせう。其憎い妾に可愛い我子を渡すのは定めし辛くもお思ひでせうが、輝雄の爲、彼の子の爲に、どうか思切つて下さい。其代り、妾の命に替へて、彼の子はきつとお預り申します。」
「奥樣!」
「此通りお願ひ申します。」
逸疾くも身を退いて、其處へ手を突く三重子を見ると、浪次は又も口を塞がれて、何とも知らぬ切ない思が熱い涙と迸しつた。
『二人静』(柳川春葉著、至誠堂書店、1917年)
先日、有休を一日使って国立映画アーカイブの「発掘された映画たち2022」に参加してきました。
『後のカチューシャ』、『侠艶録』、『毒草』など、日活向島撮影所の新派映画について本サイトで何度か触れてきました。『二人静』は全篇の保存されている数少ない新派映画で、今回のプログラムで一番見たいと思っていた作品です。御曹司との悲恋を奏でる芸妓・浪次に中山歌子さんが配され、その恋敵でありながらも情の深い正妻・三重子に若葉馨氏が扮していました。
映画が始まった瞬間、原作をあらかじめ読んでおけばよかったかな、と後悔しました。歌舞伎や舞台の古典劇同様、新派映画には「解釈」の要素が強く、既に知られた物語をその都度のスタッフと技術、技法でいかに展開していくかが醍醐味だったりします。逆に言うと元の物語に馴染んでいないと作品世界に入りこめず、門前払いを食らわされる怖さもあります。今回の上映では筋立てを詳細に説明したA4プリントが予め渡されていて、物語の理解をずいぶんと助けてもらいました。
ところが鑑賞を続けていると、筋立ては追えているはずなのにあちこちで引っかかります。流れが不自然であったり、見せ方に違和感を覚える個所が多々見られたのです。
上の2枚は三重子(若葉馨)と浪次(中山歌子)が初めて対峙した場面の画像です(『日本無声映画大全』DVD-Rより)。病み上がりの浪次は三重子の元を訪れ、同家に引き取られていた息子の一政を返すよう談判します。三重子が自分の思いを伝えることで浪次の敵意が氷解、息子の将来を託して自らは身を引く決心をする…作品の重要な転回点です。
スクリーンでこの場面を見ていた時に違和感と居心地の悪さがありました。気になったのは二人の体の向き。室内で会話している設定にも関わらず、三重子と浪次の両者とも、同じ右向きの姿勢で撮られています。
1922年頃、二人の会話のバストショットを切り返していく際には、片方が右を向き、もう一人は左を向く形で表現していくのが標準になっていました(いわゆる「ハリウッド・クラシック・スタイル」)。決め事だったわけではありませんが対話の立ち位置を尊重して撮影していくとこの形になりがちで、観ている側も「向かい合って対話している」状況を直感的に理解できます。
比較のため、『二人静』と同年に公開された二つのハリウッド作(ヘンリー・キング監督の『七日目』とイングラム監督の『ゼンダ城の虜』)をピックアップしてみました。現在の映画やTVドラマでも普通に用いられている表現で確かにこの方が自然ですよね。『二人静』の描き方はその意味で「不自然」な表現になっています。
1ヶ所だけなら気にする程ではなかったのですが全篇を通じてこの調子が続きます。あちこちで表現が足りず、あるいは逆に過剰で筋の展開がスムーズに伝わらない。見ていて流れがつかめない。観客が個々の映像をどう判断・理解していくかへの配慮を欠いているように見えるのです。当時の愛好家の目に古めかしく、稚拙に映ったであろうことは想像に難くありません。1920年代前半に新派映画へ向けられた手厳しい批判も致し方なしと思わせる部分ではありました。
ただ、「稚拙な作品に見える」は必ずしも「稚拙な作品である」とイコールではなかったりします。新派映画への批判も知った上で今回の上映に挑んだ、しかもかみ砕いた弁士説明付きの回を避けてあえて無声の回を選んだのは、ジャンル独自の表現様式なり面白さがあるのではないかと期待していたからです。実際、そういった視点からの発見には事欠かない作品でした。
三重子と浪次のやりとりに戻ってみます。『日本無声映画大全』収録の抜粋動画の前半部、6つのショットで構成された1分ほどの流れです。
ショット1: 息子を返すよう訴えかける浪次 (バストショット)
ショット2: 三重子が浪次の話を制する (角度をつけて引いた位置からの膝上ショット)
ショット3: 自分の考えを説明する三重子 (バストショット)
ショット4: 驚いた表情で三重子の顔を覗きこむ浪次(やや引いた位置、正面からの腰上ショット)
ショット5: 話を続ける三重子 (バストショット)
ショット6: カメラが浪次に戻る (アップショット)
舞台のセットのように開かれた日本間が画面中央に展開し、真正面からではなく、部屋の一隅を正面に据えて対角線上の空間を作り、固定されたカメラで撮影された構図は、日活向島映画の一つの典型といえる形式であろう。[…] 二二年版『二人静』においては、従来の引きの映像に、登場人物の胸から上を捉えた映像(ミドル・ショット)が挿入されることで、人物の表情がよりはっきり確認できるように変化している。
初期の日本映画におけるナラティヴとイメージの発達過程について
– 日活向島製作『うき世』『二人静』における検証 –
谷口 紀枝 (早稲田大学大学院文学研究科紀要, 第3分冊, vol.58, pp.173, 2012)
三重子を単独で捉えたショット(3と5)でのカメラはセット正面に置かれてはおらず、右側に位置し、図で言うと右下から左上へ、部屋の対角線に沿った視点で撮影を行っています。室内撮影で部屋を「対角線上」に横切っていく構図は2012年の谷口論文でも指摘されていた要素で新派映画の一つの型となっています。またもう一つの特徴として構図(コンポジション)の意識を挙げることができます。メインの被写体である三重子の右脇に植物が写りこみ、背後に扉が見えるようカメラの位置が計算されているのです。
続いて浪次を捉えた映像を見ていきます。部屋の対角という「型」を当てはめていくならカメラを左に寄せ、図で言うと左下から右上への向きで撮影すれば良いように思われます。ところが実際の映像はカメラはセットに入りこんでおり、三重子が立つ位置にほど近い一画から撮影されています。この位置をあえて選んだ理由を断定はできませんが、ショット1と6のどちらも植物が写りこみ、背後に扉が見えている点を考えあわせると三重子を撮影したショットと構図を揃えたかった、という仮説は成り立つと思います。
対角線、花、窓、扉…こういった発想は1910年代初頭の室内撮影で多く見られたものです。
1911~12年頃の北欧映画では部屋の一画に鏡を配する手法が見られました。カメラを固定し、室内を引きで撮影し続けるとその映像は心理的な圧迫感、閉塞感を与えます。鏡を置くとその先に角度の異なった空間の広がり、奥行きが見えるためストレスを軽減することができます。『二人静』のカメラワークはこういった1910年代前半の室内撮影の語り方と近しいものです。
1910年代にこういった技法は一定の効果があった訳ですが、その後映画の語り(ナラティヴ)が発展し、様々なサイズ感のショットや動きのあるカメラワークを絡めたモンタージュ指向を強めるに従って必ずしも有効なものではなくなっていました。『二人静』の語りはそういった時代の流れを無視している所があり、旧来技法のそもそもの意義や役割を考慮せずに「型」として前面に押し出してくる感覚があります。
対話者を向かい合わせで切り替える方が映画の語りとしては論理的でスムーズであるにも関わらず『二人静』の撮影現場ではそういう発想にはならず、壁に対して角度をつけつつ花や扉を入れた構図が優先されてしまう訳です。
肯定的に言うならば様式美のジャンルであった、となるのかなと。これはこれで徹底し突き抜けてしまうと面白い作品を生み出した可能性はあっただろうとは思います。残念ながら『二人静』そのものはそこまでのレベルには達していませんでした。それでも新派映画というジャンルが当時の映画界で異質な作品を生み出していたのを自分の目で確認することができた、肌感覚として体験することができたのは得難い経験でした。
[JMDb]
二人静
[IMDb]
Futari shizuka