帝政ロシア/ソヴィエト初期映画史再訪 [14] & 映画史・ロシア & 映画史・ドイツ & サイン館・ロシア より

c1915 Autographed Postcard
1918年のロシア革命は映画史にも少なからぬ影響を及ぼしています。
帝政期に活躍した映画人の一部(トゥールジャンスキー、モジューヒン、リセンコ、コヴァンコ等)がフランスに渡り、エルモーリエフの設立したアルバトロス映画社を拠点に活動を続けた話は良く知られています。また別ルートでプラハに流れ着いた舞台俳優たちがドイツ映画と接点を持ち、表現主義的な色彩を帯びた『罪と罰』の主要キャストを形成した話は別稿で触れています。
他にも細かな動きが沢山あって、1920年代初頭に設立されたロシア映画社もその一つでした。実質的な活動は1年程で現在ではほとんど忘れ去られているものの、エーリッヒ・ポマーの評伝『映画史を作ったプロデューサー』にまとまった章段を見つけました。
デクラ・ビオスコップ社は1920年10月、ロシアの文芸作品の映像化に特化した子会社・ロシア映画合資会社を設立。同社は1921年以降ロシア映画有限会社に発展解消を遂げる。[…]
Uco映画社がフリッツ・ラング監督の『ドクロツ・マブゼ』(1921/22年)やF・W・ムルナウ監督の『フォーゲルエート城』(1921年)、さらには『ファントム』によって大きな商業的成功を収めたのとは対照的に、ロシア映画社は3作品(カール・フレーリッヒ監督作『白痴』、ジョハンス・ギュター監督作『黒女豹』、フリッツ・ヴェンドハウゼン監督作の『ポムレ夫人物語』)を制作したに留まった。
『映画史を作ったプロデューサー』
ウォルフガング・ヤコブセン、1989年
Mit dem Ziel, sich besonders um die Verfilmung russischer Literatur zu kümmern, gründet die Decla-Bioscop im Oktober 1920 die Tochtergesellschaft Russo Film Commandite, die ab Mai 1921 als Russo-Film GmbH weitergeführt wird. […]
Während die Uco-Film Gesellschaft vesonders durch Fritz Langs Dr. MABUSE, DER SPIELER (1921/1922) und F. W. Murnaus SCHLOSS VOGELÖD (1921) sowie PHANTOM große Publikumserfolge hat, produziert die Russo-Film Commandite nur drei Filme: Carl Froelichs IREENDE SEELEN (1921), Johannes Guters DIE SCHWARZE PANTHERIN (1921) und Frits Wendhausens DIE INTRIGUEN DER MADAME DE LA POMMERAYE (1921).
Erich Pommer: Ein Produzent macht Filmgeschichte
Wolfgang Jacobsen (Argon, 1989)
デクラ・ビオスコップ社が一次大戦後に新規市場の開拓を試み、Uco映画社を通じて若手監督の発掘を進める一方、ロシア映画社で文芸路線の展開を試みたという内容です。
『白痴』と『ポムレ夫人物語』は『映画史を作ったプロデューサー』にスチル写真が掲載されていました。残りの一作『黒女豹(ブラック・パンサー)』(1921年)に主演していたのがロシアの舞台女優エレナ・ポレヴィツカヤでした。
『黒女豹』は全体として興味深く、また少なくとも映画を通じてロシア藝術や同国の藝術家を身近に感じさせる試みとして成功していると言える。
キネマトグラフ誌1921年10月第766号
Das Ganze kann als ein interessanter und immerhin gelungener Versuch betrachtet werden, russische Kunst und russische Künstler uns auch durch den Film näher zu bringen.
Der Kinematograph (1921 October No.766, E. Lintz)
ポレヴィツカヤは現ウズベキスタンのタシケント生まれ。モスクワで美術を学び当初は画家を専攻しますが後に舞台女優に転向。1910年まではモスクワ、その後1918年まではウクライナのキーウ(キエフ)で舞台に立ちます。同時期にキーウ大学に学んでいたのが後の作家コンスタンチン・パウストフスキーでした。
ロシア演劇、そしてポレヴィツカヤが演じた『貴族の巣』のリーザと『白痴』のナスターシャには魅了されたものであつた。[…]
終劇後、楽屋の入り口前でポレヴィツカヤの出待ちをした。楽屋から出てきた彼女はスラリと背が高く、輝く瞳の持ち主であつた。こちらに微笑みを向けると馬建てのソリに乗りこんだ。馬の引き具が揺れた。ムィコラーイウ通りに沿って鳴り響いた鐘の音は、遠くなるにつれ雪に吸いこまれ聞こえなくなっていった。
『生涯の物語』 コンスタンチン・G・パウストフスキー
We were fascinated by Russian drama and by Polevitskaya who acted Liza in The Nest of Gentlefolk and Nastasia in The Idiot. […]
After the play we waited for Polevitzkaya outside the stage door. She came out, tall and with shining eyes. She smiled at us and got into her sleigh. The horses shool their harness. The bells jingled along Nikolayev Street and died away in its snowy disdance.
Story of a Life : Childhood and Schooldays
Konstantin Paustovsky (English Translation, Harvill Press, 1964)
革命勃発後、ポレヴィツカヤは祖国を離れます。ドイツとオーストリアを拠点としつつ東欧やバルト三国での舞台女優のキャリアを積み重ねていきました。同時期にロシア映画社を設立したデクラ・ビオスコップ社が見逃すはずもなく『黒女豹』でヒロインに抜擢。ロシア映画社は短命に終わったものの、ポレヴィツカヤはその後も「Elena Polewitzkaja」名義でトーキー期のドイツ映画にも出演しています。第二次大戦後、70才を越えてからソ連に帰国。1950年代末~60年代に老け役で映画に出演しています。
今回入手したのは1915年に『貴族の巣』に出演した際の絵葉書。リトアニアの絵葉書屋で売られていたのを見つけたもので直筆サインが含まれています。エストニアのナルバ博物館が1920年代のサイン絵葉書を所蔵しており、筆跡を照らしあわせた上で真筆と確認できました。
[IMDb]
Yelena Polevitskaya
[Movie Walker]
Y・ポレヴィツカヤ