1925 – 「パテーベビー撮影機の研究」 (吉川速男、『カメラ 春期特別號』収録、アルス社)

情報館・9.5ミリフィルム&パテベビー関連資料 より

1925 “Etude on Pathé-Baby Movie Camera” by Yoshikawa Hayao
in Camera Magazine April Special Issue (Ars Editions)

1921年に創刊された写真総合雑誌『カメラ』(1925年4月春期特別号)にパテベビー撮影機を扱った論考を見つけました。後に『パテーの自家現像』(1930年)、『パテーの第一歩』(1931年)を公刊していく吉川速男氏の手によるものです。

冒頭、「カメラも極めて新らしく、且又其用ふるフイルムも全然新らしい反轉の方法も用ゆる品物であるだけに、遺憾乍ら充分の自信を以て書く勇氣がなかつたのです」と断り書きされているように吉川氏にとって試行錯誤した上での第一弾論考となりました。新技術や新商品の紹介ではなく、ユーザー視点で9.5ミリ動画カメラを語った最初のまとまった日本文になると思われます。

前半は紙数を割いてをカメラの特徴を説明しており、フィルムの装填の仕方や撮影時の注意事項など実践的なアドバイスが多く含まれています。

豫め撮影の際に被寫體中こゝは後にストツプさせると思ふ場所はハンドルをほんの一廻轉位の分量だけ撮影して、次にまた他の景に移ると云ふ具合にフイルムを節約して用ふる事に心掛ける點であります。

気に入った対象を延々と長回しで撮影しても、被写体の動きが少ないと流れが悪くダレた映像になってしまいがち。1~2秒程度の短い動画を積み重ねていくと映像にリズムや変化が生まれてきます。この手法は日本のパテベビー愛好家には良く知られたものでした。9.5ミリ形式は自分で撮影したフィルムに専用機器でノッチをつけて映像を一時停止することができるため、特にこういった手法に向いていたと言えます。1925年の早い段階での言及が見つかったのが一つ発見でした。

もう一点チェックしたかったのが推奨撮影速度(フレームレート)です。

ハンドルは必ず毎秒二囘轉とします。ハンドル一囘轉に八枚寫る事は普通活動カメラと同樣です。

初期映画における撮影速度の問題は一般に思われている以上に入り組んでいます。入江良郎氏による1999年の論考「無声映画の映写速度:日本の場合」がこの状況を丁寧に解きほぐしていました。

日活(向島)。1918(大正7)年
當時の撮影は、極端にネガをケンヤクするために基準の十六コマ廻轉で廻はすやうなカメラマンは一人もゐなかつた。十二、三コマ、よほどいい時で十四コマ、ひどい時は八コマか六コマ位で平氣で撮つてゐる。[中略] この習慣は日活合併後も續いてゐて、私 [田中栄三]が日活向島に入社した頃(大正六年)もさうだつた。

「無声映画の映写速度:日本の場合(上)」入江良郎
「NFCニューズレター」第28号、1999年

手回し式の動画カメラで撮影を行う際、16fps(コマ毎秒)が推奨されていたにも関わらず現場ではもっと遅い速度が主流であった、という指摘です。入江論文は商業映画を対象としたものですが、1920年代以降の小型映画個人撮影でも似たような状況が発生していました。

この話はデジタル化する際の設定に関わってきます。1920~30年代初頭の9.5ミリ個人動画をデジタル化する際、16fpsで処理してしまうとほとんどのフィルムで動きが速くなりすぎ不自然な動画になってしまうのです。そのため本サイトでは11~13fpsを標準にしています(『かごめかごめ』は11fps、『沖縄』は13fps)。

いずれにせよ日本での市販開始から間もない1925年時点で「使える」情報をこれだけまとめあげているのはさすがの一言。『カメラ』誌の1924年10月号では映写機の話もしているそうなので探してみることにします。