映写機館より
1927年(昭和2年)になると、娯楽中心の35mmに対して教育中心の16mmに特化した横浜シネマ商会が、国産初の手回し式16mm映写機を完成しエルモA型と命名した。翌1928年(昭和3年)には小型モータと50V250W白熱電球付きのB型を完成した。その頃は、モータもランプも国産品はなく、三菱電機にモータを、東芝にランプを新規に作ってもらい、ようやく1930年(昭和5年)に完全国産のD型を完成し、翌1931年(昭和6年)には明るい75V500W白熱電球付きのF型を完成した。このF型は光学面、機械面、冷却面で満足すべき小型映写機になり、当時一番明るい映写機として需要に追いつかない程の売れ行きとなった。この実績を背景に横浜シネマ商会は合資会社エルモ社と改称した。
「2. キセノンショートアークランプ」
光技術情報誌「ライトエッジ」No.15 [特集号] 放電ランプ
ウシオ電機株式会社
https://www.ushio.co.jp/jp/technology/lightedge/199811/100183.html

http://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/owari_joyubi_news/elmo/index.html
戦前の日本製映写機は何らかの形で国外の映写機を下敷きにしています。名古屋市博物館の所有している手回し式のエルモ社A型映写機で最初期の姿を見ることができるのですが、楕円の土台とランプハウスはベル&ハウエルからアイデアを借用してきたのが分かります。六櫻社のさくらスコープに似たデザインだったんですね。その後土台部は重厚な台形となり、モーターが加わって他社にはない独自のフォルムに進化していきました。




1931年にF型が発表された後も細かなモデルチェンジが行われています。当初はランプハウスの内部に抵抗が配されており、ランプハウスの屋根部分に添えられたレバーで明るさを調整する仕組みでした。その後抵抗器がランプハウス脇に独立して付けられるようになっています。今回入手したシリアル番号「F25452」の機体はこの後期改良形になっています。







ランプは75V500Wを使用。冒頭に引用したウシオ電機発行の技術情報誌掲載論文では、1935年に市販された躍進號でフィラメントの数を4から8の倍に増やした「ダブルフィラメント方式75V750W白熱電球」が採用された流れに言及されていました。




確認してみたところF型映写機のランプ(マツダ社製)はフィラメント数が6本だったのに対し、躍進號のランプ(東芝製)は8本でした。こういった細部にも技術革新が隠されているんですね。勉強になりました。
レンズは「エルモ社スペシャル F:2 プロジェクション・レンズ」(写真左)。躍進號を入手した際に16ミリ用のF:2(写真中央)と8ミリ用のF:1(写真右)を入手していて、今回9.5ミリ用にF:2がもう一本追加された形。焦点距離の表記はF:2で同じなのですが、規格が多少異なっており実写時に投影サイズにも違いが見られます。
フィルムを装填して試運転。排熱システムを備えておらずランプハウスの上しか熱の逃げ道がないため映写しているとレンズ部まで熱くなっています。またモーター音がやや大きめ。それでもフィルム送りにがたつきがなく解像度が高めで期待以上のアウトプット。アルマ映写機が金属製ベルト3本必要なのに対してエルモF型は1本だけで動かすことができ手間が少ないのも好印象です。