エマ・ツェサルスカヤ  (Emma Tsesarskaya/Эмма Владимировна Цесарская、1909–1990) ウクライナ/露

帝政ロシア/ソヴィエト初期映画史再訪 [14] & 絵葉書館・ロシア/ソ連/旧ソ連構成国 より

Emma Tsesarskaya Late 1920s Ukrainian Postcard

1909年ウクライナのドニプロ(旧称エカテリノスラーフ)に生る。16才にしてモスクワの映画学校に入学、2年後に『リャザン村の女たち(Бабы рязанские)』のスクリーンテストに合格し主要キャストの一人として女優デビューを果たしました。

『リャザン村の女たち』より

『リャザン村の女たち』はソ連女性監督のパイオニア・オルガ・プレオブラジェンスカヤの代表作の一つ。小さな農村で起こった人間ドラマを女主体で描いた作品で、ツェサルスカヤは村の旧習や閉鎖性に抗い自身の運命を切り開いていく準ヒロイン・ワシリーサを好演していました。

『静かなるドン』より

その三年後、プレオブラジェンスカヤ監督は大河小説『静かなるドン』を映画化。ツェサルスカヤはコサック娘アクシーニャを演じ演技派女優としての地位を確かなものとしました。

米ヴィクトリア・デイリータイムズ紙1934年1月27日付 『静かなるドン』でのアクシーニャ登場場面

女優キャリアの滑り出しは上々、1930年代半ばに米国メディアでも紹介が始まるなどさらなる飛躍が期待されました。しかしその実現はソ連内部の権力闘争で阻まれてしまいます。ツェサルスカヤが結婚した男性はKGBの祖に当たる内務人民委員部(NKVD)に勤務しており、30年代半ばに粛清対象となります。夫の逮捕後ツェサルスカヤは幼い息子と共に移送され郊外に軟禁。親族の尽力により拘束は解除されたものの、出演予定だった映画から降ろされてしまいます。その後業界に復帰するも大きな役が巡ってくる機会はありませんでした。

母と祖母の生活は有名になつた娘、孫娘を中心に回つていた。壁に沢山のエマの写真が飾られていた。とりわけ気に入ったのは一枚のポートレート写真。14歳の彼女を撮影した一枚で、濃い色の瞳に凛々しい眉、未来の藝術家の輝かしい面立ちをすでに幼少期に見てとることができた。

手をつなぎながら二人で森を散策。濃い緑の葉を通して落ちてきた陽射しがあちこちに明るい日だまりとなっていた。静まり返った風景の魅力が私の心をとらえた。名状しがたい喜びで一杯だつた。私の隣を歩いているエマは眩い風景と一体になっていて、周囲の美しい自然がそのまま人として現れたように見えた。

『スターリン期ロシアを生きたあるアメリカ人技術者の記録』
ザラ・ウィトキン(1991年、カルフォルニア大学出版)

The life of the mother and grandmother evidently revolved around their famous daughter and grandchild. Around the walls were many pictures of Emma. One portrait, in particular, affected me; it was of Emma at the age of fourteen — the great dark eyes, the broad brow, the full radiant face of the future artist were already foreshadowed in the child.

Hand in hand that day we walked through the forest. The sunlight filtered down through the dark green foliage, collecting in luminous pools. The stilled loveliness of the scene pervaded my spirit. I felt brimful of unutterable joy. She walked beside me, seemingly integral with the shining scene, the incarnation of the natural beauty around.

An American engineer in Stalin’s Russia
Zara Witkin (1991, University of California Press)

1930年代初頭、米ソの対立が緩和された一時期にエマさんはハリウッド進出を計画、国のサポートを経て英語の勉強を始めています。この時に講師として雇われたのが米国技術者のザラ・ウィトキン氏でした。恐怖政治が激化しハリウッド進出計画が白紙に戻された後に同氏は帰国。この時期の回想録が1991年に死後出版されています。内容をそのまま鵜呑みにできない(ザラ氏は結婚を念頭に女優と交際していたと主張。一方で女優は事実関係について言葉を濁しています)ものの、初期ソ連映画界の女優が置かれていた特殊な環境を読み解いていくヒントが含まれています。

[IMDb]
Emma Tsesarskaya

[Movie Walker]


[出身地]
帝政ロシア(エカテリノスラーフ、現ウクライナ・ドニプロ)

[生年月日]
6月3日

[データ]
14.1 × 9.1 cm, Ukrteakinovidav – 10 kopecks – No.251 – Kyiv Misklit – total print 10000 (Укртеакіновидав – 10 коп. – № 251 – Київський Мiськлiт – 10000)


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