サイン館・ハンガリー より
幾つかの点においてパールマイは時代を先んじてゐた。大柄でがっしりとした、大根足のプリマドンナが大衆のアイドルであつたあの時代、彼女は今日優勢となつている理想、すなわち華奢でスラリとした眩さをすでに体現してゐたのである。
「パールマイ・イルカ」
サース・ゾールタン(「演劇生活」誌1918年6月23-30日付第27号)
Pálmay bizonyos tekintetben megelőzte a korát. Amikor még a molett, jól megtermett, formásán domborodó lábikráju primadonnák voltak a tömegbálványok, ő már azt az eszményt képviselte, ami ma uralkodik: a karcsú, sugár, hosszú vonalú női szépséget.
Pálmay Ilká
Szász Zoltán (Színházi élet, 1918 junius 23-30, 26. szám)
1880年代からの長いキャリアを持つ舞台女優で、早くからチェコやドイツ、イギリスへと進出し人気を博していました。1918年の「演劇生活」誌で回顧されているように当時のハンガリーでやや例外的な雰囲気を醸し出していたようで、「生粋のハンガリーっ子でありながら[…] どこか軽やかで繊細な魅力を帯びていてフランス風の印象を受ける」とも書かれていました。
ドイツ語圏でも早くから名が知られていたことから1910年代前半にはすでにオーストリア映画に出演しており、ハンガリー映画が本格的に始動した10年代後半には自国でも一作出演記録が残されています。
絵葉書は1906年冬、ブダペストでモショーニ作曲の「スゼップ・イロンカ」に出演した際の一枚です。
[IMDb]
Ilka Pálmay,
[Movie Walker]
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