サイン館・フランス より
1902年パリ生まれ。地方(サヴォワ県)で開催されたミスコンでの優勝をきっかけに名が知られるようになり映画女優としてデビュー、当初はルイ・メルカントン監督作品等に出演していました。
優雅さと気品を備えた美貌はこの時期から際立っていたものの、自身がインタビューで告白していた(「デビュー当初、本誌でのインタビューに対し、”撮影カメラを前に演技する際の気後れがあるのでなんとかしないと”と語っていた」)ように内気さが目立ち、生硬な演技は決して高い評価を得ていた訳ではありませんでした。
キャリアの転機となったのは1925年の米パラマウント作品『ありし日のナポレオン』でした。グロリア・スワンソンをヒロインに据えた歴史物に端役で出演。これが米国で話題を呼びそのままパラマウント社との契約につながっていきます。
ウィリアム・A・ウェルマン作品(『猫の寝間着』)やマーシャル・ニーラン作(『外交』ブランシュ・スウィート主演)では準ヒロイン役を任され、新進花形女優として評価を上げていきました。この時期、ロバート・フラハティが彼女のアメリカの新居を訪れて残したインタビューがシネマガジン誌(1926年7月16日付29号)に残されています。
フランスでの女優活動を止めた訳ではなく1926年にいったん帰国、『レバノンの女城主』に主演。同作はマルコ・ド・ガスティーヌの初監督作品で、多少ぎこちなさが目立つもののエキゾチックで装飾性の高い独自の作風がすでに現れており、アルレット・マルシャルの存在感をうまく生かした作品として好評を博しました。
同作の後に再渡米、ハリウッドでのキャリアを本格化させていきます。ヒロイン役での成功を収めるまではいきませんでしたが、クララ・ボウ主演作の『フラ』や『つばさ』(いずれも1927年)などパラマウント社大作で助演を果たし一定の成果を上げています。トーキーの時代となるとフランスに拠点を戻し、1930年代はより落ち着いた役柄へとシフトしていきました。
アルレット・マルシャルはフランス本国でそこまで目立った活躍を見せていなかった女優が端役をきっかけにハリウッドに見いだされ、一定の成功を収めた珍しい例でした。この理由についてはおそらく次のように言えると思います。
当時のハリウッドで喜劇デュオ(キートン&アーバックル、ローレル&ハーディ他)の凸凹は基本でした。また男女間のロマンスでも面長と丸顔の組みあわせが定型として用いられていた(リチャード・バーセルメス&リリアン・ギッシュ、ヴァレンチノ&アリス・テリー、フェアバンクス&エニッド・ベネット、チャールズ・ファレル&ジャネット・ゲイナー、ゲイリー・クーパー&シルヴィア・シドニー、ジョーン・ベネット&エドワード・G・ロビンソン)のは良く知られている通りです。
ヒロインと準ヒロインの組み合わせでも同じことが言える訳です。ブランシュ・スウィートとクララ・ボウは丸顔で金髪碧眼、そして当時のアメリカっ娘らしいモダンなエネルギッシュさを有していました。卵型の面立ち、黒髪で濃い色の瞳、欧州風のおっとりした品のある女優を組みあわせるとキャラを立てやすい訳です。
黒髪で面長なハリウッド女優を探すと色々と出てくるのですが、ニタ・ナルディは妖婦色が強く、メイ・ブッシュは逆にフラッパー色が強すぎ、エリノア・フェアーは恋敵にしてはインパクトが弱すぎる…など意外と上手くいきません。このポジションに絶妙な形でフィットしたのがアルレット・マルシャルだったのではなかろうか、と。
[IMDb]
Arlette Marchal
[Movie Walker]
アルレット・マルシャル