團 德麿 [Dan Tokumaro]

日本・男優 より

Dan Tokumaro Autographed Postcard

本名、山本德麿。二十七歳。
神戸市切戸町の生れである。
繪畫と登山とカルピスが好きで、不眞目と借金が嫌ひ。
「何でもいゝから命がけの映畫を作つてみたいと思ひますね。かう、見て居てガーンと來るやうな、或は魂の底まで搖り動さされるやうな力强い映畫 – それには先づシナリオが第一です。どうも日本の映畫にはシナリオのいゝのがないのが殘念です。シナリオさへ佳作があれば、日本だつていくらでも良い映畫は作れるのですがね。」
曾て、映畫に對する抱負をさう語つたことがある。

『キネマの人々』朝島黎吉
(1927年10月、啓明社)


明治三十四年神戸市切戸町に生る。東亞等持院の時代ものに性格俳優並に猛優として活躍し人氣あり、出演映畫『愛傷』『妖刀村正』近作では『神蔭流』『觀音丹次』『不破數右衛門』等で凄い腕を見せてゐる。現に東亞時代映畫部のスター。

『玉麗佳集』(1928年2月、中央書院)


彼は新派劇靜閒小治郎の一座から、その後成美團に加入、地方巡業にその藝を磨いてゐたが、大正十三年九月明石潮等と共に東亞に入社、初め太田黑黄吉と稱してゐたが、團黑太郎と改名、現在の團德麿に昨年改名した。

年齢も未だ而立に達しないが、扮装の巧妙な事は斯界の老手と優に比肩することが出來る。

『キネマ・スターの素顔と表情』羽太鋭治
(1928年5月、南海書院)


明本名山本德麿。明治三十五年、神戸市に生る。姫路中學を中途退學して年十七歳の時に横濱で舞臺に一歩を印し後映畫へ。帝キネ入社は昭和五年三月。主な最近の出演映畫は「女讐夜話」「時代の反抗兒」等。身長五尺二寸。體重十三貫四百目。趣味は深夜の一人歩き。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)


20世紀の邦画界を代表する異形俳優の一人、團德麿のサイン入り絵葉書。

絵葉書に対して天地逆に「團とくまろ」。「團」の部首であるくにがまえが「P」になっておりその縦線を鋭角の「く」が突き抜け、最後の「ろ」の払いを長く丸めて伸ばしています。仕上がりが「ω」に似た凝ったデザインです。

これまでに紹介してきたサインでは同じ東亞の竹内俊一氏が顔を模した洒脱なアイデアを採用していました。團德麿氏のサインはそれとも違っていて、むしろ(後に画家として名を挙げる)ストーウィッツに通ずる発想を含んでいます。怪優振りが強調されがちですが、自らの身体や名をオブジェクトとしてデザイン(あるいは改変・改竄)していくアート青年の姿がおそらく原点にあって、サインにもそういった側面がにじみ出ているのが興味深く思われます。

[JMDb]
団徳麿

[IMDb]
Tokumaro Dan


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