早川 雪洲 (1886 – 1973) 1930年の舞台劇「天晴れウオング」

日本・男優 より

Hayakawa Sessue in “The Hatchet Man (Appare Wong)” 1930 Autographed Postcard
『劇』1930年10月号(國際情報社)より

世界的の映畫俳優と云はれる早川雪洲が帝劇で實演の舞臺に立つと云ふのが評判となつて、九月の帝國劇場は興行的には大成功であつた。[…] 脚本は雪洲好みとも云ふべき翻譯物の『天晴れウオング』と題する三幕物、アメリカで殺人倶樂部の頭目をしてゐる支那人のウオングが、その愛人のフアンニイを色魔のやうな花柳の醫師エンハイに奪はれる、怒りに燃えた彼はエンハイを一撃に殺さうとしたが、愛する女のために何事も忍ぶと云ふ筋で、その獰猛なウオングがさうなる處が見せ場になつてゐる、目立つのはその雪洲のウオングで、勿論儲かるやうな役にはなつてゐるが、思ひの外雪洲がよくしてゐるので、一般の評判がよかつたのである。

「九月劇壇展望」 高澤初風
『劇』(1930年10月号、國際情報社)

「母国初出演として京都における早川雪洲の人気は、各方面にわたつてセンセイシヨンを捲起したが、就中学生には著しいものがあり、二十一日初日の三階大向ふは学生服でうづめ尽した等、予想外の評判。[…]」(京都日出新聞1930年10月27日付)

「[…] 中村雁治郎の技芸熱心は今更でないが、二十六日南座の芸表桟敷四ツ目に陣取り序幕から大切まで見物していた。雪洲のウオングを”天晴天晴“と讃めたとやら」(京都日出新聞1930年10月29日付)

『近代歌舞伎年表 京都篇 第九巻 昭和四年~昭和十年』
(国立劇場近代歌舞伎年表編纂室編集、八木書店、2003年)

そもそも是は雪洲の爲に書卸された物で、元よりアメリカで上演される筈だつたのでありますが、色々準備も整ひかけました頃、この作者であるアクメツトアブダラ氏とダビツトベラスコ氏との間に私的關係のことから扮擾が釀された爲突然上演不可能となつて仕舞ひ、雪洲は非常な迷惑を蒙つたわけです。それで、雪洲は出づべくして出でざりし此名脚本を携さへて歸國したのですが、今回長田秀雄氏の翻譯成つて、茲に當地の皆樣の御批判を仰ぐことになつたので御座います。

「雪洲の土産話」
『11月特別興行』(松竹劇場、1930年11月)


以前に連名サインを紹介した舞台劇『第七天国』(1931年)の一年前、雪洲氏が帰朝後初めて出演したのが『天晴れウオング』でした。約二十年ぶりに活動拠点を日本に移す。時代は無声映画からトーキーへと移行しつつあり俳優としての実力を試されている…シビアな条件下でありながら同作は興行的成功を収め、メディアの評価も好意的でした。

帝劇公演ではヒロインのフアンニイ役に初代・水谷八重子を配し、暗殺団の首領ナ・ホンハイ役として井上正夫が出演。初期映画の愛好家にもなじみ深い面々です。その後京都南座、神戸松竹座などでも上演されており、松竹座11月公演ではフアンニイを岡田嘉子さんが演じていました。

また物語には暗殺団首領ナ・ホンハイが妻リウの浮気を疑いウオングにその暗殺を命じる流れが含まれています。神戸松竹座でリウを演じたのが瀧蓮子さんで、以前に紹介したサイン入り絵葉書は衣装や小道具の梅からこの時の一枚と思われます。