サイン館・フランス より
お嬢様へ
謹賀新年、ご健勝を心よりお祈り申し上げます
ルネ・エリベル
Chère Mademoiselle
Je vous souhaite une bonne année et fait des voeux pour votre santé
Renée Héribel
1920年代後半を中心に活躍した仏女優ルネ・エリベルによる手書きの年賀メッセージ入り絵葉書。


1925年12月12日付モンシネ誌第200号と
1929年1月18日付シネマガジン誌3号の表紙を飾っています
わたくしはノルマンディー地方の出身でカーンの町に生まれたのを誇りに思つておりますし、自分の生れた土地を映畫と同じくらい愛しております。映畫と同じくらい、と云ふのは決して生半可ではないのですよ。幼き頃より映畫館へと足繁く通い、銀幕上に繰り広げられる冒険譚に胸ときめかせ、映画界の花形たちの名を諳んじてしまう程でありました。幼少時よりピアノを學んでおり、音學を修めるために巴里の高等音樂學校に入學しなくてはなりませんでした。それでも心の奥底で、自分が映畫に惹かれていると承知しておりました。
「ルネ・エリベル・インタビュー」
モンシネ誌 1925年12月12日付第200号
Je suis Normande, je m’honore d’être née à Caen et j’aime mon pays tout autant que le ciné, ce qui n’est pas peu dire. Toute jeune, j’allais au cinéma, je me passionnais pour les avantures que je voyais se dérouler à l’écran et les noms des artistes du monde entier m’étaient familiers. Je devais entrer au Conservatoire pour achever mon éducation musicale, car j’ai joué du piano fort jeune. Mais au fond de moi, je savais bien que le cinéma m’attirait.
Renée Héribel
Interview in Mon Ciné No.200 (1925 Dec. 18 Issue)
1923~24年頃、映画プロデューサーのアレクサンドル・ナルパがモード業界と提携した「パリ流エレガンス映畫(Les Films des Elégances Parisiennes)」という企画を通じて業界と接点を持ったそうです。しかし同企画は頓挫、スクリーン・テストを受けただけで女優デビューは果たせぬままでした。ちょうど同時期、アレクサンドルの弟で当時の仏映画界のキーパーソン一人であるルイ・ナルパが新作歴史劇『好色の王』(ルネ・ルプランス監督)の主演女優を探しておりそのオーディションを通過して1924年に銀幕デビューしました。
翌年、グロリア・スワンソン主演作『ありし日のナポレオン』に出演。先日サイン物を投稿したアルレット・マルシャルと並びお姫様役を演じてキャリアを軌道に乗せます。『好色の王』(1924年)『花咲ける騎士道』(1925年)『悪童王ティティ一世』(1926年)『皇太子ジャン』(1928年)といった主な出演作は9.5ミリ小型フィルムで市販され、彼女の知名度を上げていく重要な媒体の一つになっていました。
1920年代末、サイレント映画最末期の欧州映画界では国境を超える形の合作が目立つようになります。ルネ・エリベルはこの流れに乗った一人で、他国籍の環境で製作された大作に幾つか出演。デンマークのノルディスク社が制作した『ジョーカー』(1928年)に準ヒロイン役で出演、翌年には仏独合作となった『カリオストロ』にヒロイン役で登場しています。
トーキーの到来後も暫く活動を続けていましたが1933年『赤き道の犯罪』を以て引退。長編デビューしたばかりの若きジャン・ギャバンのサポートもしていました。
日本での公開作品は『ありし日のナポレオン』のみでほぼ無名であり、自国フランスでもそこまで高い評価を受けてきた女優ではなかったりします。代表作の一つである『ジョーカー』が近年デジタル復元され、2021年のボローニャ復元映画祭でリバイバル上映されており今後の再評価がありそうな気がします。
[IMDb]
Renée Héribel
[Movie Walker]
Renee Heribelle