佐藤 円治/圓治 [Sato Enji]

日本・男優 より

Sato Enji 1928 Autographed Postcard

【二 [生年月日]】 明治三十年八月二十四日。
【三 [生地]】山形縣東田川郡。
【四 [學歴]】日本映畫俳優學校卒業、山形縣立荘内農學校卒業。
【五 [職業歴]】日本體育用品株式會社取締役。
【七 [處女出演映畫名]】「我等の若き日」。
【八 [代表映畫名]】伊藏[原文ママ]巡査の死、箕面心中。
【九 [昨年度主要出演映畫]】我等の若き日、伊藤巡査の死、靑春を賭けして、海に鳴る男、箕面心中、怒濤。
【十一 [趣味]】乗馬、テニス、ゴルフ、音樂(バイオリン)、讀書、政治問題。
【十二 [愛讀書]】正義を求むる心、ロシヤ文學、クロポトキン相互扶助論、思想と文化等。
【十三 [希望]】只研究あるのみ。

佐藤 圓治
「日本映畫俳優名鑑」A、日本活動寫眞株式會社  二、第二部(現代劇部)
『日本映画年鑑. 大正13・4年度』
アサヒグラフ編輯局 編纂(東京朝日新聞発行所、1925年)


明治卅年山形縣に生れる、本名は同じ、日本俳優學校卒業後、大正十三年五月日活入社、箕面心中、銅貨王に主演、大好評人氣を受く、思想問題、政治、讀書、乗馬、テニスを趣味として果物や菓子が好きであると、自身はトーマス、ミーハンやタイロン、パワーの樣な藝風で進み度いと云つて居ります。住所、京都市上京區植物園前通り鶴屋方。

『日活俳優名鑑 1926+10』
(1926年10月、『大日活』二周年記念附録))


戦後に活躍された女優・三條美紀(1948年『王将』他)さんの父、あるいは紀比呂子(1970年TVドラマ『アテンションプリーズ』)さんの祖父として言及される機会の多い人物です。

1924年に日活の若手ホープとしてデビューし『伊藤巡査の死』と『箕面心中』で主演を務めるもその後は脇役に回ります。1926年に6つの短編を組みあわせた「小品映画集」の『馬』で主演を任されたものの、「劇と映画」誌の作品紹介ではこの『馬』を除いた5篇が紙面で紹介されるなどメディアへの露出は目立たないものでした。

1928年秋の大規模なリストラでは解雇を免れ翌年から太秦撮影所へと移り『この太陽』(1930年)他に出演、多摩川撮影所に移籍し1942年の『将軍と参謀と兵』の工兵役まで18年間の俳優人生を務めあげています。

サイン絵葉書は1928年11月付。「円治」を「Yenji」と表記しています。

[JMDb]
佐藤円治

[IMDb]
Enji Satô