御子柴 杜雄 [Mikoshiba Morio]

日本・男優 より

Mikoshiba Morio Late 1920s Autographed Postcard

(生年月日)明治三十年四月四日生
(略歴)
  (学校)早稲田大學英文科出身
  (舞臺)大正三年東京有樂座にて「靈驗」に初演。爾後無名會、國民座、舞臺協會、兒童劇等に出演
  (撮影)大正十一年十月より東京キネマ商會へ入り、大正十三年二月十五日日活京都撮影所入社
(代表的出演映畫)農務省指定映畫「幸福の母」の勞働者、教育映画「淸き瞳」の畫家
(處女出演映畫)「噫新高」
(得意の役)喜劇、性格劇の若者
(趣味)洋書、子供と遊ぶこと、醫學藥學の研究
(崇拝せる外國俳優)チヤツプリン、バーセルメス、モイツシユ
(愛讀書)外國文藝物、生理衛生保健に關する書籍
(抱負)今後十ヶ年映畫俳優として立ち、續いて十ヶ年撮影監督として立たん、其間微力ながら吾國の映畫劇の爲に盡さん心組

『映画新研究十講と俳優名鑑』
(1924年、朝日新聞社、全関西映畫協會)


本名唐木光彦、明治卅年長野縣に生る。大正十二年日活に入り、喜劇の老役やバタ臭い二枚目を演じて未來を嘱望されてゐる。趣味は醫藥學、洋画。

『世界のキネマスター』
(1925年5月、報知新聞社出版部)


長野縣の明治卅年生れ本名唐木光彦、早大文科出身で大正三年十二月有樂座の「靈驗劇」に初舞臺、その後、無名會、新劇研究會、國民座、踏路社、舞臺協會、坪内演劇研究所、丹青座に關係新劇運動に力を盡す、古くからの藝術家である、大正十三年二月日活へ入社、最近の映畫に「夢泥棒」がある、文藝に醫學に博學な人だ、酒、煙草嫌い、他なんでも、住所は京都市下京區西ノ京大炊御門町七番地

『日活俳優名鑑 1926+10』
(1926年10月、『大日活』二周年記念附録)


本名、唐木光彦、明治三十年長野縣伊那郡に生れた。 好きなものは人間なら子供、俳優ならチャップリン […]。

『キネマの人々』 朝島黎吉
(1927年10月、 啓明社)


経歴紹介から伝わってくるようにインテリ指向の演劇青年として多方面で活動。1922年10月に東京キネマ商會に入社し農商務省が制作した宣伝映画『幸福の母』で映画初出演。その後日活に転籍、癖のある脇役として頭角を現していきます。異郷を舞台とした夢幻人情劇『血の人形』(1925年)では命を賭してヒロイン(宮部靜子)を更生させる夢の中の美青年という難しい役柄に挑戦していました。

1925年公開作品『血の人形』より、獣の女役の妹尾松子(中央)、ヒロイン役の宮部靜子(右)と並んで

翌1926年公開の『娘やるなら学士様へ』で主役の弁吉を演じます。しかし10月の大規模なリストラの対象となり『夢泥棒』を最後に映画界を離れる形となりました。その後の消息は不明となっています。

『娘やるなら学士様へ』はチャップリンを模倣した場面が話題になった一作でもありました。今回入手した絵葉書も同作のスチルをあしらった一枚。保存状態が悪く一部に剥離が見られます。

[JMDb]
御子柴杜雄

[IMDb]
Morio Mikoshiba