1921 – 『活動倶樂部』 大正10年11月号 花形ローマンス號

情報館・雑誌(和書) より

Katsudou Club Vo.4 No.11 1921 November Issue
(Katsudou Club Publishing co., Tokyo)

活動倶楽部誌の1921年11月号は花形ローマンス號と題され、ドロシー・ダルトンが表紙を飾っています。

巻頭原色カラーにファニー・ワード。グラビアが多く、ルイズ・グローム(コロタイプ)、ジーン・ペイジ&マーガレット・ドゥラ・モット(二度刷)、ヘレン・チャドウィック、アンナ・Q・ニルソン、コリーン・ムーアブランシュ・スウィート(単色)等々。右上の端正な青年は若きイングラム監督です。

新作で目に留まったのはカルミネ・ガローネ監督の初期作『チラノの接吻』(Il bacio di Cirano)。1913年封切作品で日本初公開、監督夫人でもあるソアヴァ・ガローネをフィーチャーした一作です。また邦画ではヘンリー小谷監督、英百合子主演の『夕陽の村』、嵐璃徳一派による『赤穂義士 大石妻子の別れ』(帝キネ)、『小櫻姫』(小松商会)が紹介されていました。

特集にあわせ、同人による「ロイド眼鏡とうら若き桃色の女」(細野しげる)、「それは苦しいローマンスよ」(紅原碧路)、「歐州花形不浪漫主」(若樹華影)が寄稿されています。

特集以外で興味深かったのは邦画界初期から説明弁士として活躍していた中川慶二氏による回想録「活動寫眞今昔物語(三)」。また皇太子時代の昭和天皇が欧州外遊後に帰国された際の撮影日記も資料価値が高いと思われます。

活動倶楽部誌は1921年に編集体制を変えており、編集主任だった鈴木笛人氏が抜けて若樹華影氏が後を引き継いでいます。また森岩男氏の連載「活動寫眞藝術の過去・現在・未來」が始まったのもこの年でした。この11月号では社主の森富太氏が「映畫檢閲の標準を定めよ」、編集長の若樹氏が「映畫の新使命」を寄稿しており業界に対する改革、改善要求が目立つようになっています。

夏の時点(1921年7月号)でまだこういった傾向は姿を潜めていました。活動倶楽部誌が「愛でる愛好家」から「物言う愛好家」にシフトしている兆候がはっきり表れており、次号(1921年12月号)の「革新の時期臻る」「白日の下に曝されたる松竹キネマ」、さらに翌年新年号の更なる応酬につながっていくことになります。


[出版者]
活動倶樂部社

[発行]
大正10年(1921年)11月1日

[定価]
七拾銭

[フォーマット]
B5版、 25.7×18.2cm、104頁