1930年代後半 「消えたxの謎」 独パテックス社 モトカメラ H型 9.5ミリ動画カメラ

撮影機館 より

Late 1930s German Pathex Motocamera H 9.5mm Movie Camera w/Meyer Görlitz Trioplan 1:2.8 2cm

メイヤー・ゲルリッツ社のトリオプランはボケ(特にバブルボケ)の魅力を欧米に広く知らしめ、現在のレンズブームの原動力の一つとなった個性的なレンズです。1930年代の9.5ミリ動画カメラにも同レンズを搭載した機種が幾つかあって、中でもニッツオ社のカメラは流通数が多く時々中古市場に姿を現したりします。

今回ご紹介するのは1930年代後半に市販された独パテックス社製のモトカメラH型。トリオプランのf=1:2.8 2cmが付いています。

レンズのシリアルは870891。1937年前後に製造されたものです。

カートリッジを収めるスペースの角に「.H」の刻印があります。この左に本体シリアル番号が刻まれているはずなのですがこの機体にはありませんでした。

Laack社製のレンズを搭載した一台と並べてみます。Laackの方は撮影開始ボタンと蓋の開閉ボタンがツルんとしたプッシュ式になっています(取り外しできない)。トリオプラン付きもプッシュ式なのですが、ボタン周辺に溝が刻まれていてネジになっています(取り外し可能)。また表面仕上げの塗装も異なっていてLaackの細かな大理石模様に対し、トリオプランはひび割れ模様となっていました。

興味深いのは革製の持ち手です。パッと見、「Pathe(パテ)」の箔が押されているように見えます。今回の機体はフランス(パリ19区に店を構える「アヴァンチュール・フォト」)から送ってもらった一台、当初は仏パテ社製と考えていました。

ただ、ロゴの配置のバランスがやや左寄りで一瞬の違和感がありました。しかも仏パテ社の正規品に押されているロゴは 「Pathe」ではなく「Pathé」のはずです。「e」の上のアクセント記号がありません。

下は仏パテ社純正カメラの持ち手で「é」になっているのが分かります

写真を見て思案にふける事数分、ようやく事態を理解できました。今回入手した機体の持ち手には元々「Pathex(パテックス)」の箔が押されていたのです。最後の「x」と下線部が削り落とされ「Pathe」に変えられていました。

削り落とされた「x」の跡

使っているうちに擦り減った?いえいえ、意図的に「x」を削り落としたのです。

レンズのシリアル番号から分かるようにカメラの製造は1937~8年頃。当時の独仏関係は悪化を続けており、1939年にはドイツによるポーランド侵攻を受けフランスが宣戦、翌年にはドイツ軍によるフランス侵攻~占領が展開されていきます。

1940年代前半の日本で英語から日本語への置き換えが進んでいったように、仏国内でドイツ製品を持っている、使っていることが「好ましくない」空気が醸成されるなか、このカメラの所有者(購入者ないしは販売店)が「パテックス」、つまりドイツ製を「パテ」に書き換えてフランス製に見せかけたのです。

Laack付きの機体(写真下)は蓋を開けるとドイツ語の使用説明があるのに対し、今回の一台(上)では剥がされていました。やはり同じ理由から意図的に外されています。

心底からドイツを憎んでいるのであればドイツ製品は使わない、買わない、売らない、あっても処分する方向に向かいます。少なくとも技術力は認めておりカメラは使い続けたい。でもドイツ製を使っているのは知られたくない(xを消したのが購入者だった場合)。在庫のカメラを売り捌いてしまいたい。でもドイツ製品を売っているのを知られなくない(販売店だった場合)…消された「x」の先にはどちらかの風景が隠れています。

いずれの場合にせよ、残されたのはメーカー名を改竄し、製造国のカモフラージュされた動画カメラでした。当時のフランス市民の葛藤や罪悪感、社会の空気感や同調圧力まで反映されていて、現代独仏史の傷を細部に記録した一台と言うこともできるのでしょう。